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↓『哲学』(島田紳助・松本人志著、幻冬舎、2003)より引用(25:松本)



(前回の続きより引用)
今の僕にとって、家族といえば、僕が生まれ育った家族だけだ。
だからその家族のことを少しだけ書いてみよう。
いま振り返って考えてみて、すごく良かったなあと思うのは、僕の家に老若男女がちゃんといたことだ。
母親と父親というおっさんとおばさんがいて、それから姉と兄、つまり若い男と女がいたから、一応全部駒がそろっていたわけだ。
今になって思うのは、そういうことが僕にとって良かったのだろう。


最近は一人っ子とか多いらしいけれど、お父さんとお母さんと自分しかいなかったら、やっぱり何か足りない。
キャスティング的にスカスカだ。
そういうことが、大人になっても多少影響してくるんじゃないだろうか。
兄貴や姉貴から得たものは、無意識のうちにだけど大きいものがある。
ことに上の兄弟がいるというのは、すごく得だと思う。
記憶の幅が、守備範囲が広がるからだ。
これがデカい。
テレビにしても、物心ついた頃から、僕は兄ちゃんや姉ちゃんが見ている番組を見ていた。もし上の兄弟がいなかったら、興味も持たないし、見るはずもないような番組だ。
おかげで同い年の子よりも早くから、いろんなことを知っていた。精神年齢もいくらかは高かったと思う。
僕の世代でいえば、兄貴や姉貴のいない子なんかは、キャロルなんて知らない。『ウルトラマン』の初期の頃だって、『巨人の星』だってたぶん知らない。
そういうことが、この仕事では意外に活かされていると思う。
紳助さんと話していて、ジェネレーションギャップを感じないのも、そのせいかもしれない。



↑(引用ここまで)
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…『キャスティング的にスカスカだ』。


家に老若男女がちゃんといること。いろんな種類の人間への対処を学べること。これは、松本氏が言うように、本当に大きいことだと思います。
いつだったか、ビートたけし氏がTVタックルで言っていました。
老人や障害者を、老人ホームやら養護学校やらに入れてしまって、社会と隔離してしまうのは、良くないと。
それは確かにその方がラクなんだけども、老人や障害者との接し方を学ぶ機会を子どもたちから(我々大人からも)奪ってしまうことになるから。


…ふだんから老人と接したことがないから、いざ街中で遭遇したときに、どう接したらいいか、わからない。


…ふだんから障害者と接したことがないから、困っている人を見かけても、どう接したらいいか、わからない。


…ふだんから子どもと接したことがないから、悪さをしているガキんちょを見かけても、注意の仕方がわからない。

そりゃ接したことがないんだから、どう接したらいいのかわかるわけがありません。


…こういう話をしだすと、やれ「昔はそんなことはなかった」だの、やれ「最近の人はみんな冷たくなった、他人へ無関心になった」だの、懐古主義的なありきたりの能書きをたれて話を終わらそうとする人間が非常に多いのですが、私はそんな話がしたいんじゃありません。


核家族化や過疎化が進んで、他人へ感心を持つ必然性がなくなった個人主義の現代において、老人や障害者とふつうに接する機会がなくなるのは、当然のことだと思うのです。
機会がないもんはないんだから、仕方がないのです。


だから、いろんな人間への対処能力を身につけたいんだったら、そういう環境を作ればいいのです。
自分の子どもにそういう能力を身につけさせたいんだったら、子どもをたくさんつくって、そういう環境を作ってあげればいいのです。
松本氏が子どもの頃、そうであったように。
…残念ながら、自然とそんな環境があった松本氏の時代はとうに終わり、今は「意図的に」そういった環境を作らなければできない時代です。


もし日本を、互いに助け合える、いろんな種類の人間への対処能力をもった国にしたいのなら、そのために必要なことは「昔はよかった」なんていうノスタルジックな能書きをたれることなんかじゃなく、「意図的に」そういう環境を作り上げていくしかない、とそう思うのです。
できないのなら、しなくちゃいけない環境を作る。
それだけです。


…かく言う私も「いろんな人間に対処できる自分でありたい」と思って毎日を過ごしています。
兄弟や近所づきあいをはじめ、そういった環境を意図して作ってくれた両親に、感謝してやみません。



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