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↓『哲学』(島田紳助・松本人志著、幻冬舎、2003)より引用(23:紳助)
(前回の引用より続き)
僕らがアナログ人間の最後かもしれない。
義理と人情で生きている最後の世代の人間、という意味だ。
京都に飲み屋をやってる友達がいる。そこへ電話して、僕はしょっちゅう小言をいう。
「飲み歩いてへんか。ちゃんと店へ出なあかんぞ」って。
そいつはヤンチャだから。
「飲み歩いてへんやんけ」とぶっきらぼうな口調で電話口で話すけど、そいつがどこかジーンとしてるのがわかる。決して優しい言葉をかけてるわけじゃない。ちゃんとしてるかお前、ちゃんとせなあかんぞと、むしろ怒ってるのに、それを優しさととれる。やっぱり長いつきあいの人間はちょっと違う。
この間、別の友達がこんなメールをくれた。
「子供が大きくなってきて、奈良の遊園地をディズニーランドや、って嘘ついていたのがついにバレました。なんで子供や嫁は、あんなもんが好きなんでしょう。今、そのディズニーランドにつきました。アホほど人がおります。地獄です」って。
そういうメールを貰うと、僕は笑ってしまう。ほんとにみんなおもろいし、楽しい。
そういう仲間が僕にはいる。それが僕の幸福だ。
↑(引用ここまで)
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…『ほんとにみんなおもろいし、楽しい』。
義理と人情とは言わないまでも、こういう人間関係って、素敵です。
私も、できる限り素敵な仲間と一緒に過ごしていたい、自分自身も素敵でありたい、と心がけて毎日を送っていますが、そのためには、やはり日々の「ゆとり」が必要だと強く感じています。
いつも忙しそうにしていたり。
いつもつまらなそうにしていたり。
「暑い」「寒い」「疲れた」「ムカツク」などとばかりぼやいていたり。
どんなときだって、多少のボケをかますくらいの「ゆとり」を持っていなくては、どこかせわしない、つまらない日常になってしまうと思うのです。
その人の「ゆとり」が「素敵」を生む。
素敵な仲間をつくる。
そう思いませんか?