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↓『哲学』(島田紳助・松本人志著、幻冬舎、2003)より引用(20:松本)
もうひとつ、僕になかなか友達ができない理由。
それは、どこか競い合っているからだと思う。
相手が別にこの世界の人間じゃなくても、やっぱり競い合っている部分がある。だから難しいのだ。
もっと肩の力が抜けて、本当に勝った負けたじゃない年齢になれば、もっと腹を割って友達になれるんだろうなと思う。
今はだから、友達といっても、どうしても後輩が多くなってしまう。
彼らとは競わないでいいから。
競い合うとはどういうことか。たとえば、友達の一人の辰吉丈一郎のことで説明しよう。
辰吉とはいい友達だ。
気がつくと、ふと電話をし合ったりする仲だ。
彼が一回負けて、でも辞めずにもう一回やって、再びチャンピオンに返り咲いたとき。
あのとき、僕はすごく嬉しかったし、良かったなあと思った。
思いはしたのだが、でも、心の中の五パーセントくらい、どこか男として嫉妬している自分がいたのだ。
嫉妬心を感じないような相手は、いい友達ではないというけれど。
でも、「あぁ、そうかあ、友達だと思っているのに、やっぱり嫉妬してしまうかぁ」という気分がぬぐえないのだ。
一人の男として見たときに、「今、輝きは向こうの方があるなあ」と思ってしまう自分がそこにいるのだ。辰吉みたいな友達に対しても。
↑(引用ここまで)
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…『一人の男として見たときに、「今、輝きは向こうの方があるなあ」と思ってしまう自分がそこにいるのだ』。
今、自分が「輝いて」いるか、どうか。
また、嫉妬心を感じるような「輝き」をもったツレがいるか、どうか。
松本氏の言うような、「嫉妬心」や「他者の輝きを認めること」は、向上心やそれに伴った反面教師があるからこそ、ふつふつと沸いてくるものなんだと思います。
向上心のない奴。
自分に自信がありすぎる奴、なさすぎる奴。
そういう人たちには、こういう感覚は持てないのではないでしょうか。
身近にいる人を見て、その人自体が好きか嫌いかは置いておいて、「すごいものは、すごい」と認められるか、どうか。
今の自分と、自分の周りで活躍している人を見比べて、あくまで冷静に、自分の現在の姿を判断することができるか、どうか。
「輝き」なんて抽象的な概念、単純に優劣をつけたりできるものではないと一方では思ったりもしますが、あくまで、自分を焚きつけるための、いつまでも自分を「輝かせて」いるための、必要な感覚であると思うのです。
松本氏の今回の話は、「友達」の話というよりは、「向上心」の話であったような気がします。
みなさん、今、「輝いて」いますか?
あなたの周りに「輝き」のあるツレ、いませんか?