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↓『哲学』(島田紳助・松本人志著、幻冬舎、2003)より引用(17:松本)
山はたくさんある。紳助さんの山、さんまさんの山、たけしさんの山、萩本欽一さんの山、タモリさんの山。
僕の場合は、二つの山を持ってる。
ダウンタウンの山と、松本人志の山だ。
山なんていうと偉そうだけど、別ないい方をすれば、テリトリーというか、どこにションベンかけるかみたいな話なわけだ。
他人の山に登らないというのは、つまり人のションベンかけたところには入っていかない、入っていっても勝てるわけがない、という話なのだ。
そして、山でもションベンをひっかける電信柱でもいいけど、それを見つけることができれば、その芸人は生き残っていくことができるというわけだ。
では、僕はいつ頃、自分らの山を見つけたのか。
これは正直にいうが、僕の場合はこの世界に入った初日から見つけていた。
自分は山の上に立っていると、そう思っていた。
「お前ら、早く俺らが山の上に立ってることに気づけよ」
それが実感なのだ。
だからこの世界に入った僕が必死で取り組んだ課題は、山を見つけて、もしくは作って、その山に登ることではなくて、僕らが山の上に立っているということをみんなに知らせることだった。
雲に隠れてるのかなんだかわからないけど、今は皆には見えてへんかもしれんけど……って、僕は本気でそう思っていた。
そのあたりの感覚が、他の人たちとは違ってたかもしれない。山を一歩一歩登っていって、いつか頂上に立ったる、みたいには思わなかった。
「いや、俺はもう上におるで」と。
後はそれをみんなに知らせなければいけない。それが課題だ、とそう思っていた。もちろん、それは誰にもいえなかったけれど。
でも、そういうものなのではなかろうか。
ゴッホにしたって、誰かの山を登ったわけではない。『ひまわり』にしても、みんなの意見を聞きながらちょっとずつ描いたわけではない。
あの『ひまわり』はできあがった時点で、ほんとはもう、いってみれば五十億円の価値はあったわけだ。
もうあの時点で五十億円なのだけれど、それに周りが気がついていなかったというだけの話で。
ワインみたいにずっと寝かせておいたら、だんだん色合いや構図が良くなって五十億円の価値が出てきた、というわけではないのだ。
↑(引用ここまで)
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…『お前ら、早く俺らが山の上に立ってることに気づけよ』。
…『だからこの世界に入った僕が必死で取り組んだ課題は、山を見つけて、もしくは作って、その山に登ることではなくて、僕らが山の上に立っているということをみんなに知らせることだった』。
松本氏の言うこの「自分という人間を、みんなにどう知らせるか」という課題は、私もずっと持ち続けていました。
自分がどういう人間なのか。
ふだん、何を考えているのか。
どういう工夫をして、生きているのか。
どう他人と差別化を図って生きているのか。
それらを、周りの人間に、どうわからせるか。
…ちょっと偉そうに聞こえるかもしれませんが、どんなに真剣に社会や家族や恋愛のことを日々考えていたって、どんなに場を和ませるトーク技術を持っていたって、それがうまく周りの人間にわかってもらえなければ、それは何も考えてないし、トークもろくにできないのと同じことなのです。
自分の山を持っていること。
それを周りの人間にわからせること。
…このふたつがそろっているか、どうか。
私自身、私の山を伝えるための工夫で四苦八苦の日々です。
また、私が他人を判断する基準のひとつでも、あります。
あなたの山は、どんな山ですか?
あなたがその山の上にいることを知らせるために、どんな工夫をしていますか?