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↓『フロン』(岡田斗司夫著、海拓舎、2001)より引用(08)



そんな自分の気持ちに正直に生きてしまえばどうなるでしょう。生涯ずっと、たったひとりの人を愛し続けるのは、どう考えても非現実的です。長い人生の間には、同時に複数の人を好きになってしまうこともあるでしょうし、昨日までの愛情が一夜にして醒めてしまうこともあるでしょう。


女性の間にあんなに根強くあった、たったひとりの男性と生涯の愛で結ばれたいという幻想、すなわち「オンリーユー・フォーエバー幻想」も、崩れざるを得ない状況にあります。
こういう変化も、大きい目で見れば、歴史的なパラダイムシフトの一断面なのです。


考えてみれば、大切に大切に、それこそこの世で一番大切に想っている自分自身を全面的に託せる相手なんて、空想のなか以外にいるはずもありません。

理性的に考えればこの解答に行きつくのは当然なのですが、やはりまだ大多数の女性にとってこの幻想は、「世間知らずの小娘の夢」と切って捨てることなどけっしてできないほど強烈なようです。


ではどうするのか?
いつか素晴らしい男性が自分を迎えに来てくれることを信じて、無限に理想を上げ続けるのか。
それとも「たったひとりの男性と生涯の愛」をあきらめて適当な相手と恋愛するかわりに、相手の浮気や自分の心変わりに疲れ果てて恋愛を投げ出すのか。
この両極端に走ることになります。つまり「最近、いい男がいないわね」と嘆くか、「もう恋愛なんていらない」と小声でつぶやくか、そのどちらか。

どちらも「幸福な家庭へのゴールデンロード」が崩れているのにオンリーユー・フォーエバー幻想を抱いたまま恋愛をしようとするから起こる現象です。

つまり、いま20歳代後半から30歳代の女性は、ダイナミックに進むパラダイムシフトのど真ん中にいて、その歪みによる矛盾で苦しい思いばかりをしているのではないでしょうか。


「恋愛→結婚」という「幸福な家庭へのゴールデンロード」が健在だった時代は、恋愛で浮かれている時期だけ、オンリーユー・フォーエバー幻想を保っていられれば大丈夫でした。「この人だけが好き! 一生好き!」と思い込んで、恋愛→結婚へと突っ走れば、それでOK。
結婚してからたとえ夫に幻滅し「相手を間違えたかな」と思っても、それなりの幸せは保障されているし、後戻りは不幸への道です。がっかりはしても、迷ったり悩んだりする余地はなかったのです。


けれど現在は、結婚で誓い合ったはずの永遠の愛は簡単に崩壊し、小さな望みであったハズの「平凡だけど幸せな家族」すらとてつもなく高いハードルとなってしまいました。



↑(引用ここまで)
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…『考えてみれば、大切に大切に、それこそこの世で一番大切に想っている自分自身を全面的に託せる相手なんて、空想のなか以外にいるはずもありません。』


確かに「性愛」は人間の三大欲求のひとつと言われていますし、大好きな人に気持ちを向けてもらえるあの心地よさは、最高です。たまりません。

でも、なんだか世の中が「恋愛」や「結婚」を過大評価しすぎている気がしませんか?
「恋愛」も、「結婚」も、そんなに万能じゃないはずです。


…私も実は、過去に結婚を失敗したひとりです。
なんだかよくわからないうちに家族ぐるみの付き合いになり。
なんだかよくわからないうちに「そろそろいい歳だし、責任をとらなきゃ」みたいな話になり。
なんだかよくわからないうちに親戚に連絡することになっていました。。


「親や親戚なんて関係ない! ふたりが好き合って結婚すればええやん!」ってずっと思っていました。
「とにかくふたりでずっと一緒にいることが一番いい!」ってずっと思っていました。


…でも、相手の女性の親や親戚の顔は立てなくてはいけない。
中には彼女の結婚を、彼女が小っちゃいときからずーっと楽しみにしていた親戚やおじい、おばあなんて人たちもいたりするし。。
キチンとスジを通さなきゃ、「みんなに祝福されての結婚」にはならない。
相手方の宗教や家柄なんかも気にしながら結納や式をどうするか考えなきゃいけない。


…いろいろあって破談に至ったんですけど、本当にあのときは苦労しました。。

でも、結局は、そういう諸々の事情すらうまくコントロールできなかった私と彼女に問題があったんだと、今は思います。
付き合いは長かったけど、人間としてはふたりとも浅かったんです。
結婚の入口ですらあれだけトラブったふたりが、「ずっと一緒に仲良く結婚生活」なんて土台ムリだったんだろうなあ、と思います。

考えが甘ちゃんだったんです。
…それほどに、「他人と一緒に暮らす」「相手の親までを気遣う」ことがいかに難しいか、ということを思い知らされました。


…ちょっと話が横道にそれましたが、若かりしころの私のように(泣)、けっこう多くの人が「恋愛」→「結婚」っていうものを、ホワホワした漠然としたイメージだけで「なんとなく幸せそうなもの」と考えているんやないかなあ、と思えてならないのです。


中にはふたりの努力や、親の温かい理解や、偶然の連続によって幸せな「結婚」をしている人たちも、いると思います。
それは、私が思うに、たまたま「結婚(一夫一婦制)というスタイルに向いているふたり」なのでしょう。

私が問題だと思うのは、今の時代の日本という国での「結婚」というシステムに「向いていない」、もしくは「必要なスキルがない・足りない」にもかかわらず「幸せな結婚像」を夢見ている人たちです。


「恋愛」についても同じことが言えると思います。
「恋愛」に「向いてない」、もしくは「必要なスキルがない・足りない」にもかかわらず「カレシやカノジョ」を欲しがる人間はごまんといます。


「サッカーが好き」なことと「サッカーに向いている」ことが違うように、「恋愛や結婚が好き」なことと「恋愛や結婚に向いている」ことは違うと思うのです。

「自分の気持ち至上主義」にパラダイム・シフトしている現代において、きっと、「恋愛」や「結婚」や「子どもを育てること」も、「スポーツ」や「趣味」などと同じように「やりたい人が、続けられる(自己責任が取れる)範囲で、やりたいだけやる」形に近づいていっているんだと思うのです。ちょっと極端な言い方に聞こえるかもしれませんが。。


…しかしながら、ちょいちょいこの話を女性に対してする機会があるのですが、頭では理解してもらっているようでも、最後にはきまって「…でも、あたしは結婚はしたい!」と言われてしまいます。ええ、それはもう、ほとんどの女性に。
『自分の気持ち至上主義』と『古い倫理観』に挟まれて生きる若い女性には、なかなか「私もその通りだと思う」とは言ってもらえないようです。。


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