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↓『フロン』(岡田斗司夫著、海拓舎、2001)より引用(07)


これまで信じることができた価値が崩れる瞬間、それも個人ではなく社会全体の価値が大きく変動するときを、社会学者たちは「パラダイムシフト」と呼んでいます。私たちがいま直面している問題、すなわち結婚や家庭の崩壊という限りなくプライベートに見える問題は、じつはこのパラダイムシフトの一断面なのです。


20世紀の終わりから21世紀初頭の現在、人類は第一の波「農業革命」、第二の波「産業革命」に匹敵する巨大な変化、第三の波「情報革命」を体験しつつある。我々はその変化に備えなければならない。未来学者のアルビン・トフラーはその最大の問題作『第三の波』でこう説きました。

この変化の本質が何なのかは私自身の前著『ぼくたちの洗脳社会』に詳しく書きました。興味のある方はそれを見ていただくことにして、そのなかで起きている個人の変化だけはこの本に直接関係がありますので、説明しておきましょう。


第三の波による変化で発生する「引き返せない楔(くさび)」、それが前章でもふれた「唯一無二の自分」「自分の気持ち至上主義」なのです。


「確かに自分の人生は取るに足らないかもしれない。でも、その小さな自分の人生を誰かに否定されたくはないし、否定する権利は誰にもないはずだ。この自分だけは、自分自身を大切にしよう」
情報社会の到来とともに、誰もが「唯一無二の自分」を深く愛するようになりました。愛さざるをえないのです。


その結果、そんな自分の気持ちに正直に生きることを「美しい」「かっこいい」と感じるようになりました。自分の気持ちを貫き通した他人に感動し、自分もそんなふうに生きたいと願いあこがれる。「自分の気持ち至上主義」が生まれたのです。


情報社会の現在、人々は必要以上に自分の存在を多数のなかのひとり、いてもいなくても同じちっぽけな存在と意識せざるを得ません。投票率の低下も古典的社会運動に対する無関心も、すべてシステムに対する個人の無力感が原因なのです。


ネット上で「個人が大企業のプレッシャーに負けず悪を告発した!」などという事件は、めったにないことだからこそ、ヒロイズムを鼓舞し伝説として語り継がれることになります。


どのような自分であれば正しいのか、誰も言ってくれないし、言ってくれたとしても信じることなんかできません。世界中の人々にとっては、自分なんかいてもいなくても同じです。


だからこそ、自分自身の快不快だけがこの世界で重要になります。いてもいなくても同じだから、やりたいことをしよう。楽しく生きよう、ということです。



↑(引用ここまで)
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…『情報社会の現在、人々は必要以上に自分の存在を多数のなかのひとり、いてもいなくても同じちっぽけな存在と意識せざるを得ません』。


個人の無力感。

ここ数回、「自分の気持ちに正直に生きることが、正しいことになってきている」という話をしてきましたが、そういう流れのおおもとの原因は、これだったのです。


世の中に情報があふれすぎていて、「自分の存在なんて、広大な世界の中で、ちっぽけなものにすぎない」と簡単に実感できてしまう。

「その他大勢」に埋もれないように、「個」を保つように、「ひとりしかいない自分」を自分自身が大切にするしかない。


根本にあるのは、寂しさ。不安。


以前に紹介した、島田紳助氏の「娘のボーイフレンド」のくだりで、紳助氏はこう言いました。
『世の中、情報が行き届いた。ぼくらの子どもの頃、アホの小学生が「医者になりたい」って言っても、誰も笑わなかった。でも、今は、笑われる』。


自分の気持ちが行動基準だけれど、気持ちだけではどうにもならないという現実。


この無力感は、我々が現代を生きていくのに、ずっとついて回ってきそうです。。


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