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↓『フロン』(岡田斗司夫著、海拓舎、2001)より引用(04)



男女の間で、どちらかが論理的で、どちらかが感情的だなどという性差は見られません。感情的男性もいますし、論理的女性もいます。数学が得意な女性もいますし、美術が得意な男性もいます。
この性差、精神的構造としての男女の差の最大ポイントは、「自分の感情を見つめる能力の差」です。
一般的に男性は、感情を過小評価する傾向にあります。逆に女性は、感情を過大評価する傾向にあります。


男性にとって感情は、仕事をするうえでつねに足を引っぱる存在です。
上司や取引先の人を嫌いだなどと言っていては、話になりません。つらい仕事だから辞めたいといえば、それは敗北につながります。相手の感情を思いやっていては、成立するビジネスもダメになってしまいます。

自分の心の中にわき起こる小さい感情の波をできるだけ見ないようにする。無視して理論的に行動しようとする姿勢が、”男性的”と呼ばれる行動の本質なのです。


このため、男の子は小さいころから、自分の感情を過小評価するよう条件づけられます。転んだとき、痛くて泣きたくなっても、それをガマンすればさすが男の子とほめられます。
暗い夜道で、怖くて逃げ出したくても、グッとガマンしないと笑われてしまいます。
友だち同士で遊ぶときですら、いじめられてすぐ泣く子は、友だちにバカにされますし、バカにしてもいいのです。
感情に流されるヤツは負け犬、というのが、男性の価値観のなかにあるからです。


これに対して女性の場合は、基本的に優しさや思いやりを求められます。
同じ職場で働いていても、OLの場合は、細かな気遣いや穏やかな笑顔が一番喜ばれます。相手がお茶が欲しいと思っているときに、すっとお茶を出す。相手が飲みたいと思っているのが、お茶かコーヒーか、熱いのか冷たいのか、きちんと考えて出す。
こういう女性は”女性らしい女性””いい奥さんになりそうな女性”と、喜ばれます。


そのため、女性は小さいころから、感情の波を注意深く見つめるように育てられます。妹が自分のおもちゃを欲しがって泣けば「泣いているんだから貸してあげなさい、かわいそうでしょ」と言われます。妹の気持ちを思いやれる子どもが、やさしいいい子と教えられます。
本やテレビを見て泣くと「優しいね」とほめられます。逆に、ガマンするとかわいげがないと言われます。女の子同士のコミュニケーションでも、”好き””嫌い”が中心になります。
感情に無頓着なのは優しくない、という基本的価値観が、女性の価値観のなかにあるからです。


毎日の感情の波は、人間としてあって当然です。波の大きい、小さいや、どんなときにどんな波がやってくるかは、個人差が大きいものです。
が、そういう個人差とは関係なく、社会的な「男らしい」「女らしい」という価値観の結果、男性は一般的に自分や相手の感情に無頓着になり、女性は自分や相手の感情に振り回されやすくなります。
恋愛や結婚生活に関して、この性差は絶大に影響します。


女性は毎日毎日、相手に対する自分の気持ちの変化を注意深く見つめています。
「ああ、いまは昨日よりあの人をもっと好きになってしまった」
「毎日毎日どんどん好きになっていく」
同時に、相手の自分に対する気持ちの変化も、顕微鏡でも見るように真剣に見つめています。
「今日別れるときは、名残惜しそうな顔をしてくれた。でも、明日は忙しいと逢ってくれない。あの人は、どれくらい自分のことを好きなのだろうか?」


しかし男性は、自分の感情を過小評価しますので、彼女のことをどれくらい好きか、彼女が自分をどれくらい好きか、あまり気にしません。
自分が彼女を好き、彼女も自分が好き、それでOK。よっぽどのことがない限り、感情への観察をそれっきりです。
そんな者同士が恋愛をするわけです。なかなか互いの理解は難しいですね。


(中略)


先ほども説明したとおり、結婚を続けるには恋愛感情が必要です。女性は、自分の「好き」が上がったり下がったりするのを、結婚後もつねに見つめています。相手が自分のことを好きだろうか、ということも、つねに意識しています。
「靴下脱ぎっぱなしはやめて」も「夕食を食べないなら、早めに電話してって言ってるでしょ」も、「このままでは少しずつ私、あなたを嫌いになってしまうわよ」というサインなのです。同時に、「私のことが好きなら、こんなに私が不快なことはやめてくれるよね」というサインでもあります。


ところが男性は相手の感情に無頓着です。妻の感情が日々増減しているなどと、想像もつかないのです。「また、妻がグチを言っている。何か、うっとうしいなぁ」と思う程度です。
妻からこういうメッセージが続けば、たぶん夫の心のなかでも妻に対する「好き」は減っているはずなのですが、それすら自分では気がつきません。自分の感情なのに、妻のほうがよほどよく観察しています。
結果、知らない間に、「このまま私、あなたを嫌いになっちゃうよ」というメッセージに、「それでもいいよ」という返事をしていることになってしまうのです。


女性同士の場合だと、そんなメッセージが見逃されることはまずありません。互いにあわてて考えなおしたり、あらためようとしたり、逆に怒ったりするという、予想内の反応が返ってくるものです。
ですから、妻にしてみれば、夫が無頓着のために無視しているとは思えません。
「え!? この人、私が嫌いになってもかまわないの? 私のこと、そんなにどうでもよくなっちゃったの!?」と考えてしまうのです。



↑(引用ここまで)
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…なるほどなぁ。と、思えるフシがいくつもあります。

男の子が、感情に流されないように育てられていること。
女の子が、自分や他人の感情の動きに敏感になるように育てられていること。

そのため、女同士ではありえないような感情表現の行き違いが、男女間では起こってしまうこと。


一見、普遍的に見える「男らしさ」「女らしさ」は、我々が無意識に「そういうもんだ」と思い込んでしまっているだけで、実は便宜的に・人工的に仕込まれた、「教育」されたものである、ということ。


それらをあたらめて意識してみると、自分が異性に何を求めているか、「恋愛」「結婚」に何を求めているか、見えてくる気がします。


「女であること」「男であること」を相手に強要しちゃってることって、けっこうあります。。


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