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↓『恋愛自由市場主義宣言!』(岡田斗司夫著、ぶんか社、2004)より引用(02)



今までなぜ、そんなに恋愛が大切に扱われたのかというと、「オンリーユー・フォーエバー」な相手を見つける過程が恋愛だったからです。

本当に、今の恋人は世にいるたった一人の相手だろうか。
それを確かめるための大切な行為が「恋愛」。
だから、多少勉強や仕事がおろそかになろうが、友達づき合いが悪くなろうが、家族と疎遠になろうがかまわない。
何しろ、オンリーユー・フォーエバーな相手が見つかれば、すべてがオッケーになるから。

その人と結婚し、子どもを生み、明るい家庭を築くという、誰もが認めてくれる幸せな人生が約束されていたからです。


でも今や、「オンリーユー・フォーエバー」な相手なんかいない、というシビアな現実を、みんな薄々と感じています。

もちろん、それに抵抗して「最近、いい男いないわね」と探し続けてみたり、「男は育てなきゃ」と若い男を教育しようとしてみたり、さまざまな工夫はなされています。
それでもみんな、どうしても自分を騙しきれなくなってきているのが事実なのです。

とはいえ、まだまだ「オンリーユー・フォーエバー幻想」も強固に残っています。そしてそれは、さまざまな場面で顔を出します。


何しろこの数10年、恋愛は特に女性にとって、最大の関心事でした。テレビドラマでは毎晩のように夢のような恋愛が放送され、書店に行けばあふれるほどの雑誌や単行本が輝かしい恋愛をするための、さまざまなレクチャーを私たちに発信してくれます。


(中略)


今、ほとんどの人が”恋愛”だと思っているのは、この”チャンピオンの座”の争いなのです。恋人の座であったり、妻や夫の座であったり、人によって欲しいポジションはさまざまなようですが、基本的にはそれが欲しいから、その手段として恋愛めいたことをしているに過ぎません。もしからしたら、結婚したら仕事を辞めようと思っている人にとっては生活していくために次の就職先を探す転職活動かもしれません。


でも、”座の争い”とストレートに言うのは敬遠されてしまいます。あまりにも殺伐としている政治的闘争ですから、拒絶感を抱かれてしまうのです。そこで登場するのが、”恋愛”という美味しそうなシュガーパウダーです。これを”座の争い”、というあからさまな現実の上に振りかけると、みるみるうちに、楽しく、明るい気分になれます。さまざまなメディアから受けたお手本が、すっかり私たちを洗脳してしまったのです。利己主義的な、ドロドロとした闘争を、「夢みたいな素敵なストーリー」にすり替えることで肯定してしまう、そんな思考回路がすっかり身についてしまったのです。


「面倒だから、一人の人とそういう関係になったらもういいや」が「私だけを見つめていてね」や「お前はオレの女だ」になったり、生活のための転職活動が「素敵なダンナ様との憧れの結婚」になったりするわけです。

それは明らかに勘違いした変換ミスです。


「他の女と浮気するなんて最低」とか、「俺以外の男とは会うな」などは、醜いエゴでしかありません。これを以て恋愛などと思うのは、誤解も甚だしいことなのです。



↑(引用ここまで)
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…私は、「これが『本当の恋愛』だ!」なんて偉そうに言うなんてとてもできませんが、どんな「恋愛」が、利己主義的なエゴにすぎないのかくらいは、わかります。

時には、自分の思いすら、疑うこともあります。


「私は、彼女のことが純粋に好きなだけなんだろうか?」


「『恋人がいる』という事実に酔っているだけじゃないんだろうか?」

「『結婚ってしなきゃいけないもの、しないと恥ずかしいもの』って思っていやしないだろうか?」


「『性欲を満たす』ことを彼女に求めるのは、自分のエゴなんじゃないだろうか?」

「『結婚したい』とか言って、彼女に家政婦的な役割を押し付けようとしているだけなんじゃないだろうか?」


…自分が本当にしたいことは、何なのか。「思い」は本当のところ、どの程度のものなのか。


…世の中で「愛」だとか言われてるけど、一体何なのか。異性に対する性欲まじりの気持ちなんかより、普段身近にいる人たちに対する気持ちの方が、よっぽど「愛」と呼べそうです。


「まともに、生きたい」。


「相手を『人間』として、見たい。付き合いたい。」


岡田氏の言う「オンリーユー・フォーエバー幻想」は、私のそんな気持ちを、整理してくれているような気がします。


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