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↓『マムシのan・an』(リリー・フランキー著、マガジンハウス、2003)より引用(14)


身だしなみ。いい言葉である。その言葉から漂う雰囲気に情緒と、しっかり伸びた女の背筋を感じる。
逆に、ファッションとは玉虫色の言葉だ。なにか、やっつけ仕事なぞんざいさがある。
野球をやったことないのに、ユニフォームに袖を通しただけで上手になったような気分がしている出版社の野球チームのように浅はかさを醸し出す。
着ちゃったら終り。塗っちゃったら終りじゃない。
<身だしなみ>と<ファッション>。似た言葉であっても、身だしなみあってのファッションであることを今日は考えてみたい。
ムダ毛である。やっぱりそんな話か!? と思われるかもしれないが、身だしなみの基本はやはり、一本の毛に始まるものだからしょーがない。
たとえば、鼻毛だ。女の鼻毛。これは一本でも全人格を否定されるようなアトミックパワーを持っている。しかし、それはあくまでも事故だ。そんなモノを見た時、人間はいい言葉を知っている。
「見なかったことにしてやろう」
だが、次の日もその女性が鼻毛を出していたら。それは単なる事故ではない。その事故は整備不良による人身事故である。
知らんじゃ済まん問題に事件は発展する。また、その鼻毛がオシャレなスカートでもはいていたら…。なおさら無惨な姿だ。
つまり、この人はファッショナブルではあっても、身だしなみは疎かなのである。
風呂上がり。素ッピンに眼鏡をかけ、片手を高く上げながら毛抜きでワキを抜くビジュアル。かなり女としては見られたくない姿だ。その上、強くアゴを引く姿勢のため、下くちびるはビロンと突き出て、まるで執筆中の松本清張のような顔。
清張な時間。この時間こそが女性の身だしなみを整え、美しくする時間なのだ。
また、手鏡を持って鼻毛のチェックをする。鏡の角度を変えながら、鼻の頭を上に吊り上げ穴の隅々に目をやる。その姿はまるで、研ナオコのモノマネをするためにセロテープで鼻を持ち上げた清水アキラのようだ。
研の刻。言うまでもなく女性にとって大切な時間である。
結局、美しい人は整備工が油まみれで車のメンテナンスをするように、イケてない時の時間(清張な時間や研の刻)をイケてる時間に正比例して持っているということなのだ。
そして、清張の時間は内面がフェミニンになる時間でもある。女としての清張。この時間が外見だけでなく、内面やしぐさの身だしなみも整えるものだ。
ボクは素敵な女性に出会うたびに、その人が家に帰ってから過ごしている清張な時間を想像し、愛しさをかんじるのでした。
あと、これからの季節、キャミソールやホルターネックの背中に伸びる背な毛。あれのやけに長いまんまの人をボクはドラゴンと呼んでいます。


↑(引用ここまで)
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…『結局、美しい人は整備工が油まみれで車のメンテナンスをするように、イケてない時の時間(清張な時間や研の刻)をイケてる時間に正比例して持っているということなのだ』。


なるほど、私にも妹がいたり、女性と生活をしていたこともあるので、女性にとってそういう時間がいかに大切であるかは、じゅうぶんわかります。

いくら親しい仲であるとはいえ、その姿を見せつけられるのは、御免こうむりたいけども。。(苦笑)
メンテナンスは、あくまでメンテナンス(裏方作業)なのです。

裏方作業を、表舞台にもって来ないでほしい。そう言いたい。


…それにしても、リリー氏の言うとおりです。

鼻毛のパワーは絶大です。

鼻毛が出てるのを見つけてしまうと、マジでひきます。

背な毛、腕毛の処理が甘い。もしくは、まるでなされていない。内心、メチャクチャひいてしまいます。

それは、彼の言うように、「単なる事故ではなく、整備不良による人身事故である」からです。


鼻毛が伸びている「事実」にひくのではありません。

鼻毛が伸びていることに「意識」がいっていない、その「身だしなみへの意識の低さ」にひいてしまうのです。

あくびをしたり、咳をしたりするときに、手で押さえないことも同じです。

あくびするときのブサイクな顔、人様に見せちゃいかんでしょ。

咳するときくらい、横向いて手で押さえなきゃ。

そういう「意識の低さ」を露呈させる行動が、どんどん自分の価値を下げているのです。


…ここまで書いた自分が、鼻毛をボーボーにしとくわけにはいかんよなぁ(笑)。

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