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↓『マムシのan・an』(リリー・フランキー著、マガジンハウス、2003)より引用
しかし、女ときたらどうだ?別れ際には、引越しの粗大ゴミを出すようなつもりか、言わんでもいいようなことを、さんざん並べて去る。
「今まで、ずっと言わなかったんだけどさぁ!!」
そしたら、言うな!!テメエが気持ち良くなる為に、人を傷つける。もう、これが最後と思ったら、何のためらいもないらしい。
↑(引用ここまで)
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…さすがは、リリー氏です! 先生、僕のこのトラウマは、あの時のアレだったんですね!(涙)
恋愛の醍醐味は、
「なぜか、
どういうわけか、
テメエの気持ち良さをさしおいても、
何かしてあげたくなっちゃう。
できるだけ傷つけないように、
嫌われないように、
相手を気遣う。
そんな気遣いをしてる自分も、
たまらなく好き!
嗚呼、なんていとおしいんだろう!!」
…ってなところにあったはずなのに、付き合っていくうちに、いつの間にか、
【テメエの気持ちよさ > 相手を大切に思う気持ち】
という不等式が成立してしまうことの、なんと多いことか!!
相手に強く意見(文句?)を言うとき、それが気遣いからくる「教育的配慮」なのか、相手の気持ちを無視した「暴言」なのか、冷静に判断する必要があります。
そしてそれが「教育的配慮」ならば、言い方も、できるだけ相手に伝わるように、工夫されているべきだと思うのです。
私は言い方には気を遣わないけど、伝える努力はしないけど、あなたはそれに気付いて欲しい、なんていう乱暴な物言いが、許されていいのでしょうか?
理由はどうあれ「暴言」を吐いた時点で、少なくとも「相手を傷つけない配慮」は欠けていると言っていいと思います。
ところで、わたくしはこう見えても結構反省家なものでして、たとえ彼女の言葉が「テメエが気持ち良くなる為だけ」の暴言だと気付いても、そこに一理でもあれば、なんと自己反省してしまうのです。
そして、自己反省すべき点があるのだから、そんな自分が今反論するのは見苦しい、美しくない、と判断し、そこで話を終えてしまいます。
「他人に言うなら、まず自分ができてから」という美徳を持ち合わせているのです。
発言には、分相応の資格が必要だと思うからです。
…私は、この歳になっても自己反省の毎日です。
ヘコんでばっかりです。
言う資格のない奴らが厚顔無恥に言うことなんか、聞かなきゃいいのにね。
みなさんは、分相応でない発言、しちゃってませんか??
