今日は、結構、毒のある書き方をします。
毒も、たまーには、出していかないとネ。ということで、気を悪くする人もいたらごめん。
多くの素敵な移民の人たち、中東、アフリカ、アジア、ヨーロッパ他国、アメリカ(大陸)、からの人を沢山見ました。
まぁその、マクドナルドなどで働いている移民の人たちは、キッパリ「そんなの知ったことか。あたしの仕事じゃないわよ」
「笑ったら疲れるだけ」というタイプの人がとても多い。
でも、真面目に役立とうとしてくれる、こちらがドイツ語があやしいのを直ぐ理解して、分かりやすく、「砂糖とミルクはあちら、返却はこちらにね!」などと教えてくれたりする人もいる。
この「笑ったら疲れるだけ」タイプの人たちにも、笑顔でダンケ、というと、びっくりしたような、はにかんだような、うれしそうな笑顔が返ってくる。
あぁ、今まで、お客から感謝されて笑顔を貰うことが、なかったんだろなーと。
そして、それが少しでも、彼らのやり甲斐になってくれたらいいなと、思うんだよね。
みんな可愛い。
概して。
「えらそーにしていて、人助けなんてことはビジネスにない。笑ったら負け」な働き方のパーセンテージは(笑) ほぼ毎週カフェかマクドナルドでコーヒーをしていて、思っただけだけど、
ドイツ人20% 移民50% ぐらいの割合じゃないかなー。
そう、ドイツ人の店員の人は、最初に笑顔でハロー、モルゲン、のあとで、笑顔もなくフツーに仕事する人も多数いるけれど、多くの人が相手の役に立とうとしようという精神があるよ。
多分、増えてきているのが中東系の女性の店員。彼女達は「サービス」なんてことを考えたこともないだろうと思う。こちらのドイツ語が悪いのを、ことさらに「なんだって?何っているの?」という聞き方をしてきたりするのも、彼女ら。
語学学校でも、こういう面での無礼さは、いっぱい経験しましたが、中東共通。
一方で、とんでもなく優しく人格者な中東の人にも多く会った。
黒人で、とても素敵な知的な人にも、よく会う。
電車の中で、さっと通りやすいように避けてくれたり、穏やかな目で人を見る。
レジをやっていて、誰よりも素早く対応できたり、易しく対応できたりする、おそらく大学生。知的さが直ぐに分かる。
さて、ここからが本題になります。
どーしよーもないのもいる。
ドイツ人のクズにも会ったりした。お金をねだり、アルコールを片手に、うつろな目で歩き回る。
道端に多くの人が平気でタバコの吸殻や、食べ物の包み紙を落としていく。
いろんな人と道で行き会う、すると、お互いに、そのピンからキリまでの人間たちがいるなかで、相手がどのレベルの人間なのかを、さっと判断する。
そうしないと、すれ違いざまにバックを引ったくられるかもしれないからだ。
そして、爆弾を手に、突っ込んでくる可能性だってあるし![]()
体が弱そうなお年寄りは、そういう「戦闘体制」でいて、瞬間に私をみて、大丈夫だ、と判断をする様子がよく見える。自分が弱い場合には、その判断力が凄く大切だし。
だから私も今、学んだことは、「自分のアピアランス・見た目・雰囲気を、きっちり信頼感をもたれるように振舞うこと。」
穏やかに、冷静に、同時に抜け目無く。のろくなく。でも無邪気で![]()
あんまり、カツカツ歩いて、デキル風ムンムンに振舞うのは、恥ずかしいだけじゃなくて、やっぱり「戦闘態勢のヒト」と出会いやすいんでね。
ある程度、「無邪気なアホ」でいないと、いらぬ議論を持ち込んでこられても、こっちは太刀打ちできないし。
日本語か英語だったら、やっつける自信、あるけれども
。
だからか、多分、デュッセルドルフのドイツ人は、同じように、「デキマス・オーラ」を消しているヒトも多い気がする。ケルンとかのほうが、こういう「近寄りがたいバリア」を張ってるヒトが多かった気が。
この辺、日本人からうつったんじゃなかろうか![]()
こういう社会に、生きていると、思うことがあるんだ。
言っちゃあいけないこと、なんだけども。
先進国の人間は、いろんな意味で淘汰されてきている。
そして、後進国の人間は、いろんな意味で、淘汰されてきていない。
いくら、先進国に住んだとしても、後進国の人間にはできない「瞬間判断」があったりする。
そして、即座にそれを身に着ける後進国の人もいれば、どれだけ不快な思いを自分が味わったり人に味合わせたりしても、学べない、理解できない人もいる。
そういう人間が社会に受け入れられない=差別となったりする。
でも、これは、差別じゃない、と私は思うんだよね。
それこそ、淘汰、なんだろうと思う。
差別というのは、「●●人だから、無礼に違いない、だからこちらも戦闘態勢で、無礼にふるまってやろう」という、思い込みからおきているように思うんだよね。
差別する側も、当然、相手を怖いと思うわけだし、怖いと思う権利だってある。
だけど、怖いから、無礼に傷つけることを言ったりして相手の人権を脅かしてもよい、先に危害を加えてもよい、ということには、絶対にならない。
電車で避けられた!差別!と騒ぐ人もいたりするけれど、相手が怖がる権利を、考えてあげればいいよね。
そして、やっぱりヨーロッパ以外の人間は、この「戦闘態勢・無礼に」という態度に出やすい。
ドイツ人はじめヨーロッパ人は、既にこの「差別をしてしまうという加害者にならないような用心」を乗り越えていて、あくまでもフラットに、しかし用心深く振舞う人が多い。
差別的なことを感じたことは、ほとんど無かった。(唯一あったのは、ホテルのフロントに意地悪されたこと。でもこれは、人種に関係なくひたすら意地悪な人間だったと思う)。
ある意味、先進国の人間のほうが、「戦闘的・暴力的」機会が少なくて、その点は鈍っていて、後進国の人間は、そういう瞬間判断はものすごく早かったりするだろうなと。
しかし、人と調和して生きること、協力しあうこと、信頼しあうこと、そのために必要な、自分自身のアピアランスから態度からの「信頼感」をつくっていくこと、という点については、後進国の人は、どうしてもできない人が多い。そんなことを考えるよりも、とにかくサバイバルという意識で生きてきている。
だから、移民の人たちの言動のほうが、「いっちゃあいけないこと」を言ってしまったりする。
(私も言われました。容姿がどうこう、とか、身分が、年齢が、お金がどうこう、という話題で、普通はそれは失礼だろうという言葉を、うっかりというか、無意識に、言われ。
それを怒るとか悲しむよりも、あぁ、そういう意識は、ヨーロッパ人と違うな、と)
ドイツ人でも無神経なヒトもおおいっすけれどね!
ラッキーなことに、そういうヒトは相手が避けてくれるのか、直ぐに疎遠になる。
だから、「傲慢なドイツ人」よりも無礼だったりするのは、後進国から来た移民のほうが多くて、根っこは優しい、単純な人たちなんだけれども、それはそれで、かかわるのがツライ部分もある。
「淘汰」・・・・。
それぞれの社会に適合することから、はみ出ること。
日本ほどじゃないかもしれないけれど、その息苦しさ、というのは、文明社会どこでもあるなぁと。
そして、日本社会をサバイブした私は、ドイツ社会でサバイブできるだろうか、淘汰されるだろうか、なんてことも、考えてしまったり。
へへ、そんなことを考える必要も無く、戦う必要も無く、生きられる人も沢山いる。
それから、ドイツ人男性と、中東女性のカップルをよく見る。
一説では、こういう難民女性とドイツ男性との、お見合い進行団体みたいなのもあったりするらしい。
子供を生みたがらないドイツ人女性よりも、彼女達のほうが、子供を欲しがるドイツ人男性たちのニーズにマッチしているわけで。欲しがらないドイツ人男性も勿論、沢山います。少子化高齢化と日本と同じ悩みの国ですから。
まぁ、その、女性のほうが、移民としては、歓迎されやすいよね、と。
でも、難民移民してきて、こうやって生きていくのも、大変だろうなと。
こうやって、文化が新しくできていくんだなって実感する瞬間だったりし、
こういう平和に、衝突も大きくなく、新たなフィーリングが生まれていくことに、爽快感も感じました。
もいますし、街角で相変わらず話しかけられてますから、ヘーキ。
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