ペップ:貴方の知らない6つのこと 続き | ぼうけんのしょ

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3.ペップのアシスタント

グアルディオラはバイエルンミュンヘンでも多くのアシスタントを置いているが、その中の一人は、伝説的地位を持ったひときわ目立つ存在。
マヌエル・エスティアルテは、選手時代、実はサッカー選手ではなかった。
彼は、ウォーター・ポロの選手だったのだ。
オリンピックで6つの大会を戦い、「ウォーター・ポロのマラドーナ」とその戦いを称えられ、金メダルも、ワールドカップタイトルも、彼の沢山ある栄光のうちの2つに過ぎない。

カンプ・ノウでも、エスティアルテはグアルディオラの右腕だった。彼のキャリアから、信頼と尊敬を選手からも勝ち得ており、チームのマインドセットの方法を彼から学ぶこと以外にも、グアルディオラが信頼を寄せる理由の一つでもあった。

ミュンヘンでもその関係は続いており、時には新しいアイデアがあると、ペップは選手に広めるための共鳴版としてもエスティアルテを使い、時には試合前のビデオチェックを助けたりと、彼はコーチングスタッフ陣の中での、貴重な人材であり、おそらくペップの行き先に、ともに行くことを求められるだろう人だ。

4.バルサを辞めたとき

グアルディオラがバイエルンを去る時には、2012年に彼がバルセロナを去ったときと同じように、彼はふさわしい賞賛を受けるだろう。クラブは実際に、ペップが去ることを知らせた後、1ヶ月以上は悲しみにくれ、全選手とクラブ代表のみならず、スポーツディレクターや重役たち全てが、彼の記者会見に参加したのだ。さらに、トリビュート・ビデオを彼を主役に作製し、満員の観衆がつめかけたカンプ・ノウでのお別れの言葉を述べたのだった。レジェンドが去るときにふさわしいものだったのだ。

しかし、いつもそういうわけでもなかったのだ。
2001年にペップがバルサを、選手として去るときは、彼は裏口から変装して出て行ったのだ。

4月のある午後、彼は、当時代表を務めていたヨアン・ガスパールとのミーティングを行い、彼が去ることを伝えた。「いつ?今だって!?」という反応だった。グアルディオラは、その通りです、そして明日、記者会見を開きますので、一緒にご出席くださいますかとお願いする。

※ グアルディオラは、2001年の最後の試合の後、現バルサ監督のエンリケに抱え上げられる


突然いわれたガスパールは、その時、既にスイスでの休暇を予約しており、スケジュール変更ができなく、出席はしないことになった。
6リーグタイトルを持ち、史上初のヨーロッパチャンピオンになったグアルディオラは、一人で記者会見に出たのだ。

その別れは、協会に多大な貢献をした選手に対してふさわしいものではなく、イギリスで見かけるようなものとは正反対だった-当時からペップは、イギリスを賞賛していた。

「次にどこでプレイするかは分かりませんが、イギリスチームに行きたいという希望があります」
グアルディオラはその2001年の記者会見で、そう答えたのだ。「彼らは正直です。オールド・トラッフォードで最初にプレイしたときのことをよく覚えています。最高でした。」

彼は、プレミアリーグで選手としてプレイしたことはなくても、それぐらいうれしいことが、今起きようとしている。


5.彼は著作家

近年、何冊ものグアルディオラについて書かれた素晴らしい書物が出版されてきているが、マーチ・パラナウによって書かれた、バイエルン時代を内側から見た自伝などもある。
しかし、ペップ自身が、本を書いていたことをご存知?

2001年、彼は、「La meva gent, el meu futbol(原題)」 (英語:my people, my football) を、ルー・マルティン、ミグエル・リコというスペインで最も尊敬されるジャーナリストとの共著で、出版している。一部は自伝、一部はペップの試合を解説したもので、名著だった:ペップファンなら、必ず読むべき本だ。

しかし、2つ問題がある。1つは、カタローニャ語版しかないということ。そして2つ目は、既に絶版となっているということ。絶版してずいぶんたっているが、大金を稼ぐだろうとは思われていても、ペップは再版の気持ちは全くないようだ。

なぜペップが選手として、最も話をした回数が多いのがファン・ハールだったのかを知りたい?
残念!
「La meva gent, el meu futbol」は、手に入りにくい悪名高い本であり、たとえ運よく見つけられたコピーだとしても、恐ろしく高くつくのが確実だ。


6.最初のトロフィー

バルセロナで監督を務めた最初の年に3冠を勝ち取ったことは、非常に大きなことではあったけれど、それは彼が監督になってから初めてのトロフィーではなかった。

それは、そこから1年前に、彼がリーガ4部のバルサBで地域大会のタイトルを取ったときだった。チャンピオンズリーグのトロフィーをもつよりも、ちっぽけなものだったが、それは、彼にとって、最大の瞬間だったのだ。

バルサの少年チームが2008年にタイトルをとり、それに伴い3部に上がれたときのことを、グアルディオラは後に「スポーツ選手としての生涯で最も大きな喜び」と語る。あらゆるタイトルを勝ち取ってきたこのサッカー選手から、そのような言葉が出たのだ。

バルサBは、ペップが監督をするにあたって最も自然にそうなるだろう環境だった。というのも、ペップが現役引退をした2006年の際、最も理想的な仕事は、ユースアカデミーで、子供達とともに「気取ったり、野望に取り付かれたりせずに」監督業でのトップを目指すことだったのだ。

その後は、違ってしまったが、過去にユースで指導をうけた彼の元で、1部チームに次々とスターが誕生したことも当然のことだったのだ。ユースのサッカーは、彼が最も愛するものなのだ。

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いやーーー。中々、面白い記事でした。ペップが子供好きだったというのは最近知って、結構意外でしたが、元々ユースの指導をしたかったんだということを聞いて、またイメージ変わりましたね。

「気取ったり、野望に取り付かれたりせずに」は、the pretension or the obsessionをそう訳して見ましたが、今のペップをみるに、やっぱり「気取って野望に取り付かれて」いるように見えてしまうからなんですよね。

カタロニアの詩人の詩を朗読して目に涙してしまうぐらい、感激屋のオヤジ。

子供大好き。

3年で辞める理由はというと、「ペップは、全身全霊を込めるから、3年というのが、それがもつ限界なんだ」といわれる。

本当に、誠実に、真剣に、サッカーと向き合っているのね、と思うんですが、


ちょいちょい、ちょっと違う印象も持ってるんで、やっぱり好きなのかキライなのか、まだ整理つかない監督です。

ってことは、やっぱりスキなのね