ペップ:貴方の知らない6つのこと | ぼうけんのしょ

ぼうけんのしょ

L□∨Ε...φ( ̄▽ ̄*)ポッ

ペップについての記事が、どかどかとスポーツメディアにノッケラレテマスガ、
シティ規定路線な記事が多くてツマラン。

その中からちょっと面白いなと思ったのをご紹介。
http://www.fourfourtwo.com/

貴方が知らないだろう、ペップの6つのこと。

長い記事なので、分けて書きます。今日は1と2まで。



1. お気に入りのストライカーは

2006年のドイツワールドカップの間、El Pais に彼は連載コラムを執筆。
その中身はというと、彼の魅力全開の、サッカー魂を垣間見せる洞察にあふれていた。
記事の中でも、最も興味を引くこととしては、当時のトーナメントで活躍していた選手で、ペップが溢れんばかりの好意を注ぎ込んでいた、お気に入りのストライカーだ。その名前は、驚きだろう:ピータ・クラウチ。

「ウェイン・ルーニーは、より決定力があり美しいプレイをするが」彼はそんな風に書き始めている。「クラウチのコンディションこそ、もっと確信させるものだ。クラウチがいれば、クラウチが主役の試合となる。クラウチの試合を経験すると得るものが非常に大きいのだ」

「彼は、足を使っても頭を使っても、自分が何をするべきかを知っている。彼の素晴らしい点の一つは、連携プレイだ。彼はただ、クロスをするためにそこにいるのではなく、試合の流れを保つことを知っている。彼は空中で1000回もボールを受けキープする。単純なことのように見えるが、これができるストライカーは少ない。連携しないストライカーもいるし、他のチームメイトとは違う試合をしていると思っているストライカーもいるが、能力を最大限発揮するチームもある。英国には、クラウチがいるから。」



2. 監督としての最初の仕事は

公式には、バルサのBチームで仕事を開始したのが、2007年。
しかし実際は、それ以前にプロチームの監督をしていた経験があったのだ。
このカタロニア人(ペップ)は、カタールのアル・アハリとの契約を終えた2005年に、完全に選手生活からは引退しており、その終了した同じ月には、監督コースを受講している。しかしながらその冬に、ペップはもう一度選手に復帰することを決意し、今現在はメキシコのドラドス・シナロアとなった前身チームに行ったのだった。

なぜか?それは当時、ドラドスの監督をしていたフアン・マヌエル・リージョを、常に敬愛していたからであり、メキシコに向かうことは、彼から直接指導を受けることを意味し、単純に、最後に彼のそばでプレイすることがキャリアを終えるのにふさわしいと思ったからだった。
ドラドスでは、ペップは常に黒い本を持ち歩き、リージョの指導を事細かに記録し、学びつくすまで彼の師の後ろで控えていたのだった。このミッドフィルダーは、対戦相手を研究するように師から言われ、そしてチームメイトをそばにおいての技術や作戦に関するアイデアを語り合ったのだ。

リージョは後に、
「私は彼が偉大な監督になるだろうと分かっていた。ペップは他の人とは違っており、普通は選手としてプレーした後、徐々に監督になるものだが、ペップは、監督になるのを待ちながらプレーしていたんだよ!」と語った。

リージョは、ペップが試合のスカッドに入っていないときでも、非常にペップを高く評価したため、彼をスタンドに座らせずに、ベンチに座らせたのだった。リージョが座っていて、ペップがタッチラインから大声で選手に吼えまくるという光景も珍しくなかった。

このちょっとしたメキシコ進出は、2006年の7月まで、グアルディオラが引退していなかったことを意味するが、しかし後に大きな影響となったことは、彼の監督業としてのキャリアは、ここでスタートしていたことだった。

このコンビは、2010年にリージョがアルメニアを指揮しているときに、再び会うこととなった。バルサは、8-0で勝利し、リージョは解任。ちょっとした恩返しだ!