ウダウダ悩む「得したい・正解を選びたい・失敗したくない」を、どうにかしたい! | わたしがわたしに戻っていく、そんな変化の途中記録。

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「このままじゃアカン!変わろう!」


…あれから数年…


自分の成長が、たのしい

これを選んで正解やったん?

 

あっちを選んだ方が得やった?

 

なにを選べば正しいの?!

 

 

いまのわたしは思う。

ああ、なんて不毛な考えやったんや。

 

 

自分の選択に自信が持てない

 

「ショートケーキにしたけど、やっぱり、チョコレートケーキにしておけば良かったかな…ああでもなぁ…どっちがよかったんやろ…」

 

自分の選択が正解だったのか、まちがいだったのかを考えつづけながらショートケーキを食べる。

 

それ、食べてて、美味しないやろ。…と、いまでは思う汗

 

 

けっきょく、「得したい」「正解を選びたい」「失敗したくない」という気持ちが強すぎて、決めたあとも、ずっとウダウダウダウダ考えるのですあせる

 

 

決定して、結果(商品)が目の前にあるというのに。

 

 

ショートケーキを注文したあと、「すみません、やっぱりチョコレートケーキに変えてください」と言ったところで、きっと、おなじように「やっぱり、ショートケーキのが良かったかも…」って、言うに決まってんねんショック

 

 

そもそも、「得したい」の得って、わたしにとって、なんの得?

 

・材料費とか原価を考慮しての得?

 

・お金のコスパ?

 

・時間のコスパ?

 

・期間限定品?

 

・他人に自慢できる?

 

・マウントがとれる?

 

・たのしさ?

 

・美味しさ?

 

どれか、わからへん汗

 

 

そもそも、「正解を選びたい」って、わたしにとっての正解ってなんなん?

 

なに選んでいいかわからへ~ん!

正解がわからへ~ん!

 

正解が自分でわからない時点で、わたしのなかに、確固たる「正解」がない状態やんか汗

 

ない正解を選ぼうって、絶対にできないことをしようとしているやん…わたしは。

 

無謀にもほどがある。

 

 

そもそも、「失敗したくない」って、失敗するか成功するかなんて、誰がわかるねん

 

ショートケーキが美味しいのか、チョコレートケーキが美味しいのか、そんなの食べてみないと分かるわけがないのに…。

 

より美味しい方が食べたいなら、全部買って確かめたらええやん。

 

損したくなければ、買わんかったらええやん。

 

…っていう話になってしまうわけで汗

 

Hands off my tags! Michael GaidaによるPixabayからの画像 

 

 

「あっちがよかったかも」

「こっちの方が得やったかも」

 

ウダウダウダウダウダウダウダウダ…

 

あ~!もうイヤや!

しんどい!

 

「得したい・正解を選びたい・失敗したくない」って、ウダウダつづけるのはもう疲れた…えーん

 

どうにかしたい!

そう思い立った37歳ごろのわたし。

 

「1年間、ひとのオススメを選択する」という実験を始めることにしたのですビックリマーク

 

 

つづきます↓