コウくんは、



過去をひきずっていない。







我が家には4歳の豆柴、コウくんがいるのだけど、



彼を見ていていつも思うのは、



コウくんは、



「今」にしかいない



「今」だけを生きている



ということ。



「過去」に、



ここでおやつをもらった。

ペットホテルに預けられた。

ここで注射された。



そういう「記憶」は、多少はあるようだけど。



だからといって、



「おやつをもらえなかったから、ボクは愛されてない」

「ペットホテルに預けられたから、ボクは愛されてない」

「注射されたから、ボクは愛されてない」




なんて、



絶対思ってないと思うんです笑



その瞬間、その瞬間、



「ボクは遊びたい」

「ボクは散歩に行きたい」

「ボクはおなかすいた」

「ボクは一人で静かに過ごしたい」

「ボクは撫でられたい(滅多にないけどw)




そんなシンプルな「望み」を打ち上げて、



叶えば、そのうれしさを味わい、



叶わなければ、その残念さもそのまま味わっている。



望んだものがなければないで、



今、すでにここにあるもので、



別の心地よさを見つけていく。



コウくんは、



そんなふうに、自分の人生(犬生)をつくっている。



だから、



家族の私たちは、



コウくんと一緒にいるだけで



癒やされるのだと思いますほんわか







一方で、私たちはどうだろう?



おやつをもらえなかった。



そんな「事実」があったとき。



「私は愛されていない。」



そんなふうに、



すぐに独自の「解釈」を展開して、



自ら自爆しにいってしまうこと、



ゼロではないですよね😂



そんなとき、



私がよく使うのが、



必殺!「だからといって、◯◯なわけではない」構文😂



たとえば、



「おやつをもらえなかった(事実)



だからといって、



「私は愛されていない(解釈)



わけではない。



こんなふうに、



事実のあとに、




だからといって、
◯◯なわけではない





を付けてみる。



すると、



勝手に展開していた「解釈」が、



ふっとほどけることがあります。



そして、



おやつをもらえることで、



私は、



愛されていると思っていたんだな。



自分は、



何をもって、愛の証明にしようとしていたんだろう。



そんな問いも、自然と出てきます。



そして、



自分が怖れていること。



外側に期待していたこと。



本当は、どうだったらよかったのか。



そんなことが、



少しずつ見えてくることがあります。



望まないものと、



本当はこうだったらうれしいという望み。



その両方を理解してあげられると、



それは、



誰か(外側)に補充してもらうのではなく、



まず自分で補充してあげられることだった



と気づけることもあります。







望んでいないものがあるということは、



同時に、



望んでいることがある、ということ。




強烈な「NO」に気づいたら、



その反対側にある、



「今、私は何を望んでいるんだろう?」



その問いに、



戻ってあげるタイミング。



コウくんは、



今日も、「今」をまっすぐ生きる姿で、



そんなことを教えてくれる、



私にとって最高の先生なのです☺️🐾

 

 

 

 

偶然繰り広げられる不思議なコラボ😂

 

 

 

 

【平日は毎朝メルマガを配信しています✏️】
 

 

 

「視点が高くなるヒント、学びになります。ありがとうございます!」

 

「麗華ちゃんのメルマガを毎日楽しみにしてます」

 

「言葉がすっと入ってくる」

 

「瞑想音声を毎朝聴いている」

 

「届いたらすぐ読みたいメルマガ」

 

「日常での気づきシェアがわかりやすい」

 

 

 

 

 

ブログには書いてない、最近の私の旬な出来事や、

 

 

 

サービスの募集は、すべてメルマガから発信しています。

 

 

 

登録時には、4種類の「瞑想音声」をプレゼントしています🎁

 

 

 

登録はカンタン1分♪

 

 

 

ラブレター無料登録はこちらからラブレター

星森麗華の波動美人メルマガ

 

 

 

宝石赤ブログへのご質問・感想はコチラからお願いします宝石赤
https://ssl.form-mailer.jp/fms/65fd7dc9796957

 

 

 

image