ひまわりは、ひまわりの種を持っていて、



その種を撒いたから



ひまわりが咲く。



キュウリは、キュウリの種を持っていて、



その種を撒いたから



キュウリの実が成る。



目の前の問題は、問題になる種を持っていて、



その種を撒いたから



問題が起きる。



私たちの意識は、たいてい、



目にしている、



手にしている、



味わっている



「実」のほうに行きがちだけど、



その「実」を、



再び手にして味わいたい場合も、



その反対に



二度と味わいたくない場合も、



意識を向けてみるのは



実ではなく、種



なんだ。



自分がその「種」を持っていて



その「種」を撒いて育てたから、



その「実」が成った。



「こんな花が咲くと思わなかった!



こんな実、すきじゃない!



こんな現実、望んでない!」



そんな時は



好きなだけ、嘆き悲しみ、怒ったら、



どの「種」が、この「実」を成らせたんだろう?



と種を特定する視点を持ってみる。



「この花をまた咲かせたい。



この実を、また味わいたい。



この現実を、望んでた。」



そんな時も、



思いきり笑い、愛で、喜んだら



どの「種」が、この「実」を成らせたんだろう?



と遡り、種を特定してみる。



種がはっきり特定できるほど、



自分の人生に



二度と起きてほしくないこと



再び起きてほしいこと



の再現性は高くなる。



「私は、どんな種を持っていて



今まさに、何の種を蒔こうとしているのか?」



そんな問いを持ち始めてみることで、



人生という畑に



咲かせたい花、成らせたい実が



育ち始めるんだ🌱