今日は特にオチもなく、
(いつもないけど笑)
「過去に強い欠如感」をおぼえた出来事が、
現在に与えている影響や葛藤について、
私の事例でなんとなく書かせていただくブログとなりそうです。
よかったら、お付き合いください。
・
私が子供だったころ、
私の父は一般的に言う「サラリーマン」で、
一度も転職することなく定年まで勤めあげて、
私たち家族を支えてくれました。
(まだ、生きてます😂)
ちょうど私が
幼稚園に通い始めたタイミングから転勤が増え、
幼稚園は二つの園、
小学校は二つの小学校に行きました。
二園目の幼稚園は、年長から転園し、
小さいながらも
既にみんなが仲良くなっているのを感じ、
「あ、なんかうまく入れない・・・」っていう違和感や、
軽く仲間外れにされたこともあって、
「やっぱそうだよねー、、、」
みたいなあきらめの気持ちを、
子供ながらに感じていました。
そして、
小学校入学からはシンガポールに転勤になり、
そこでは、転勤族を親に持つ友達ばかりで、
一緒に楽しく遊んでいた友達が、
ある日「日本に帰国すること」になって、
突然いなくなる、みたいなことは
日本の公立小学校の転校率と比べると、
割と頻繁にあって、
これも子供ながらに、
「友達はいきなり目の前から遠くにいっちゃうよなー」
と仕方なく、気持ちの片をつける、
そんな経験を何度かしました。
そんな私も、小学3年生の三学期をもって、
「日本に帰国することになった」一人で、
まだシンガポールで暮らす友達からすれば、
「いきなり目の前からいなくなって遠くに行く友達」
になったのだと思います。
このシンガポール時代の、
「友達が帰国していなくなっちゃう」という経験は、
友達は、いついなくなるかわからないから、
(もう悲しい思いをしたくないから)
深入りして仲良くなるのはやめておこう
と、いつしか無意識のうちに
友達とは物理的にも精神的にも距離を置いて付き合う、
という習性を
(仲良くなった友達がいなくなっちゃう体験はもうしたくないから)
私に身に付けさせたのでした。
最近になるまで気づいていなかったのですが、
この経験は、
私の人生にとって、とても大きな意味を持つ
「欠落」を感じていた出来事だったのです。
友達や、仲間は、
仲良くなったと思ったら、
いなくなっちゃう。(欠落)
だったら、一人でいるほうがいいや。
とも思うわけです。
・
「私的な欠落感」を覚えた分野は、
あなたの才能が眠る場所。
「私的な欠落感」を覚えた分野は、
あなたが才能を発揮しなくちゃいけない分野。
過去のあなたの「私的な欠落感」は、
「公の価値」を満たす。
多くの人を、照らす光になる。
これは以前、ブログに書いた言葉なのですが、
今回取り上げた経験に基づく、
私の「私的な欠落感」については、
現段階ではまだ、
「公の価値」を満たせる領域までには
育っていません。
ただ、くり返し、
同じ「テーマ」として、私のところにやってきます。
つまり、
誰かと仲良くなる
さらに、仲の良い人が増えて仲間になる
いなくなる・離れる
だったら、一人でいるほうがいいや
孤立する(ように感じる)
みたいな「欠落感」を思い出すテーマです。
そして、
この感情のダークサイドの裏側で
私が実際に感じたいのは、
誰かと仲良くなっても
大丈夫
物理的にいなくなったとしても、
大丈夫
お互いが、安心してそのままの在り方を発揮でき、
理解し尊重しあえる関係性は作れる
「大丈夫」という「安心感」
なのだと思います。
そして、
そういう「場」を私自身が作りたいのだとも
思います。
現段階では、
「家族単位」では実現できてきたところです。
この「転校が多かった」経験によって
私が感じた「大きな欠落感」は、
私の大切なテーマのひとつ。
欠落感が大きく感じたものほど、
「こわい」サイズも大きいのだけれど、
引き続き、あがき、もがいて四苦八苦を楽しみながら、
大切に育てていきたい「分野」なのであります。
本当にオチがなかった、、、😂
(最後までお読みいただき、ありがとうございます🥺)
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