「いつもより、30分遅くおきた」
という、善いも悪いもない、
ただの一つの事実。
それを、
・今日終わったわー。最悪な一日になっちゃう。
と解釈して一日を始めるか、
・ちょっと多めに眠れたから、ここからネジ巻いていきまっせー!
という解釈で一日を始めるか、
はたまた、それ以外の解釈で捉え、
一日を始めているか、
当然のことながら、個人によってもちがうし、
状況によっても、変わるのだろう。
実際は、
事実には、意味はなく、
事実は、どんな時も、単なる事実でしかない。
誰のせいでも、誰の味方でもなく、
常に「ニュートラル」。
たとえば、事実、
・「朝起きたら、外は雨」
・「乗ろうとした電車の扉が、目の前で閉まった」
・「子供が学校休みたいと言った」
・「ここから見える限りの信号は全て青」
これら、単なる「事実」に、
「意味」を乗せ、
あたかも、
それが「真実」のように捉えているのは、
受け手側である「自分」の「解釈」の成す業。
・
単なる「事実」と、
あなたがその事実に乗せた「解釈」は
別のもの。
単なる「事実」は、明日になっても「不変」だけれど、
あなたがそこに乗せた「解釈」は、「変化」する。
それは、
起きた出来事(過去)は変えられないけれど、
あなたの(過去への)解釈が変われば、
それまでの人生さえ変えられる、
ということでもある。
「事実」は「解釈」次第で、どうにでも変えられるんだ。
・
「すべては、自分が発信源である」
という前提で、
出来事を捉えてみたら、
私たちは、
自分の「傲慢さ」や「怠惰」に気づき、
外側への「言い訳」や「依存」の「他責思考」を手放し、
もっと、
「自分を生き始める」責任を自覚していくのかもしれない。
一つの「事実」をとっても、
外側の「他責思考」の「解釈」を乗せるのではなく、
起きた「事実」に対して、
自分の責任の範疇で気分よく動けるようにするには、
どんな「解釈」を乗せて「理解」すればやりやすいかな?
と問う「間」を持つことで、
「事実」と「解釈」を
複雑に絡ませて拗らせる「人生ハードモード」から、
「人生イージーモード」を選択し直すことができる。
そして、その練習の機会は、
私たちの「日常」に、
毎日、いくつも、(無料で笑)転がっているのですよー^^
「お気に入りの靴おもちゃをもらって、無我夢中でハミハミするご機嫌コウくん🐾」
という「解釈」で眺めた図。
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