足の小指をテーブルの椅子でぶつけたら、
「イテッ!」
と言葉に発する前に、
あなたの感覚にはすでに、
「痛い」があるように。
あなたの感覚に
(なんか)「ちがう」
を彷彿とさせる反応があるのなら、
それは「ちがう」。
あなたの感覚に
(なんか)「こわい」
を感じさせる反応があるのなら、
それは「こわい」のだ。
「痛い」も、「ちがう」も、「こわい」も、
あなたにその感覚があるのなら、
まちがいなく、
「痛い」し、「ちがう」し、「こわい」んだ。
(ぶつけた足の小指の痛さの感覚を、疑ったりしないでしょう?)
・
あなたのこころは、
言語を持たない。
あなたのこころは、
「ここにあります」
と指し示せるような目に見える位置も持たない。
だけどいつも、
「感覚というサイン」でもって、あなたに報せを送ってる。
それは、「痛み」という感覚かもしれない。
それは、「じーん」という感覚かもしれない。
それは、「カァっとなる」という感覚かもしれない。
大事なのは、
言語をもたないあなたの「感覚」を、
あなたが無視しないであげること。
「これは痛いねー」
「胸がじーんとして、泣きそうだよね」
「頭に血がのぼるくらい、今腹が立ったね」
一つひとつのあなたの感覚に、
あなたが声をかけ、寄り添っていくことで、
あなたの「感覚」は言語をもたないまま、
それでも、
あなたがキャッチしやすいよう、
もっとわかりやすい「サイン」を使って、
本来、あなたが決めてきた道へと
いざなってくれるようになっていく。
一番信頼できる「道先案内人」は、
言葉も、住所ももたない、自分の「感覚」。
どうか、無視せずないがしろにもせず、
一番大切に扱ってあげようね。
・この日のブログのことも思い出しました✏️
一番身近な人間とは「自分」。
🌱必要だから、誕生する。サイン。
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