2年前の今日のブログが、たまたまあがってきた。

 

 

 

今日も、たまたま車移動の用事があって、

 

 

 

初めて通る道を通って、

 

 

 

2年前と同じような出来事が偶然あったのだけど、

 

 

 

あの日みたいにあれこれ頭を忙しくする私もいなくって、

 

 

 

結果オーライで笑い合えているところは、変わってなかった。

 

 

 

 

(2年前の今日のブログ『自分のこころをまもるために』

 

 

 

我々は、曲がる道をひとつまちがえた。

 

 

それは、初めて走った不思議な道。

 

 

そこをまちがえた途端、

 

 

一つの修正では効かなくなって

 

 

行きたい方向とは反対方向に連れていかれるような

 

 

あわわわわ、、、という展開になっていった。

 

 

それにより、私たちは

 

 

予定通りに目的地に到着することはできなくなったし、

 

 

たった一つのまちがいが、

 

 

まるで取り返しのつかないミスをしたかのように、

 

 

「戻りたい道には簡単には戻らせませんよ?」と、

 

 

初めてその道を通る者に対する洗礼を受けた、

 

 

そんな気もしないわけではなかった。

 

 

運転してくれているパートナーは、

 

 

「凹むわ〜」と、

 

 

言葉の通り、

 

 

徐々に、確実に凹んでいくのがわかった。

 

 

この雲行きのあやしくなってきた状況から、

 

 

パートナーの気を逸らしたかったのか、

 

 

今、話す必要もなさそうな子供時代の話を

 

 

無意識に引っ張ってきて話してみたものの、

 

 

やっぱ、なんかちがう。

 

 

そんな話を今、私もしたくなかった。

 

 

 

「自分のこころを守れるのは、自分しかいない」

 

 

こころの中で、そうつぶやく。

 

 

 

(そして、私は今この件について、どう感じているのか)

 

 

(そして、私はどうしたいのか)

 

 

 

「私は、運転もしてないし、

 

 

もし、今私が運転していて、

 

 

初めての道で道をまちがえたら、

 

 

『あー、こういうことになっていくんだー』

 

 

って思うくらい、だと思う。

 

 

そして、今の私は、凹んでもないし、

 

 

浮き上がってもないよ。

 

 

目的地に行ってもいいし、もう行く気が失せているなら、

 

 

私はどうしても今日行きたいってわけじゃないから、

 

 

行かないでもいいよ。」

 

 

 

そうやって、

 

 

ただ、伝えられる。

 

 

 

「ところで、凹んでるのは、何に対して?」

 

 

わからないことは、ただ、聞ける。

 

 

(察さない、勝手に決めつけない)

 

 

 

「自分」

 

 

彼は言う。

 

 

 

「そっか」

 

 

(自分に、か。

 

 

だったら、「私は全く気にしてないよ」とか言う必要もない)

 

 

 

かつての私のように、

 

 

そんなに凹まないでほしい

 

 

とか、

 

 

早くいつも通りになってほしい

 

 

という不安や焦りから、

 

 

「全然気にする必要ないよ〜」

 

 

とも言わない。

 

 

(気にする必要があるかどうかは、彼が決めたらいいんだ)

 

 

 

相手がその感情を感じている時間に

 

 

不法に相手のこころに入っていかない。

 

 

(どうぞ、ごゆっくり)

 

 

で、待つ。

 

 

 

 

「どうやったら、

 

 

この凹んだ空気を変えられるんだ?」

 

 

しばらくして、

 

 

ひとりごとのように彼は言う。

 

 

 

 

私は窓を開けた。

 

 

「あーーーー!」

 

 

と叫ぶ。

 

 

彼も窓を開けた。

 

 

「あーーーーーー!!!!」

 

 

 

 

道をまちがえたことも、

 

 

予定が少々狂ったことも、

 

 

変わらないし、

 

 

あの道がわかりにくいことも、

 

 

この先もきっと変わらない。

 

 

 

だけど、

 

 

感じ方が

 

 

かつての私とはちがっているから、

 

 

かつての私とはちがう反応ができる。

 

 

かつての私とはちがう反応をしてもいいよって

 

 

今の私が許可をする。

 

 

そんなことができるようになった自分の変化が、

 

 

ただ、うれしい。

 

 

そんなことを実践させてくれるパートナーの存在が、

 

 

ただ、ありがたい。

 

 

 

自分のこころを守れるのは自分しかいないから。

 

 

パートナーが凹んでいても、

 

 

一緒に凹むことだけが寄り添うことではない。

 

 

 

 

相手も、自分も、

 

 

自分のこころを守れる人

 

 

守るために行動する人

 

 

そう信じてそばにいること。

 

 

そっちのほうが今の私に合っていて、

 

 

そうすることのほうが、

 

 

「自分のこころ」も「相手のこころ」も

 

 

守ることができている。

 

 

そう思うんだ。

 

 

 

(引用、ここまで)

 

 

 

「パートナーシップ」は、試行錯誤の実験室。

 

 

 

「大丈夫じゃない」と思っていたことを、

 

 

 

いくつ「大丈夫だったね!」に裏返せるか?を拾い集める

 

 

 

協働ゲーム。

 

 

 

お互いの失敗も出直しも、やり直しも

 

 

 

ゆるしあえた分だけ、

 

 

 

「笑い合う」

 

 

 

ってボーナスポイントが受け取れるようになっている、

 

 

 

そんな「ルール」があるみたい。😂

 

 

 

今日は「こむぎ」ちゃんのいるお寺へ。もう何回目になるかな🐈

 

 

 

 

日本の四季の素晴らしさを、拝観するたびに感じさせていただいています🍁





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