たとえば、
親子の関係で。
母なんだから、
子供に「○○してあげなきゃ」
が起点となって、
届けた忘れ物
部屋の掃除
読み聞かせる本
正そうとした姿勢の悪さ
は、
まもなくして
子供が
「してあげる前の状態(元いた場所)」
に戻ると、
○○してあげたのに!
○○してあげてるのに!に
あっけなく
変身してしまいやすい。
だから、
シンプルに
「私が」
○○してあげたい
○○させてほしい
○○したい、
愛が起点のエネルギーで動こう。
そうすると、
また忘れ物したって
部屋が再び汚くなったって
読んだ本、聞いてなくたって
姿勢悪く食事してたって、
「うん、そっか」って、
今現状の子供そのまんまを
認めることが
難しいことではなくなったりする。
してあげなきゃ!は、
気を利かせて差し出すように見えて、
相手からの
こちらが勝手に思い描いた理想の「反応」
との交換を求め、
してあげたい!は、
あなたのおかげで
私の思いを
出させて(実らせて)いただきました、
ありがとう、となる。
(差し出したら完了)
よーく、観察してみると、
「してあげなきゃ」の裏側には、
「してあげたい」がくっ付いてる。
くっ付いてるけど、
その裏側にイマイチ気づけない日は、
なんもせず、
放っておいたらいいんだと思う。
自責や他責の始末になるくらいなら、
互いに自分で自分の責任を取り合うような
「機会」と「経験」を
得てみることのほうが
日常の質のランクは、上昇する。
親子に限らず、
いかなる人間関係においても、
そっちの道を選ぶほうが
実はめんどくさいけど、
きっと、そうなんだ、
と思う。
壁に忘れもの。
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