「わかりあう」とは、

 

相手と自分が

 

「おなじ」考えになることを

 

目標にするのではなくて、

 

あなたは、こう

 

わたしは、こう

 

って、

 

「ちがう」考えを理解し、

 

尊重しあうこと

 

だと、

 

私は思っている。

 

 

向かいたいゴールが

 

「おなじ」だとしても、

 

差し出す愛のカタチも、

 

人それぞれ「ちがう」。

 

とてもじゃないけど、

 

「おなじ」望みに向かっているようには

 

見えない、感じられないくらい、

 

「ちがう」カタチだってある。

 

 

ということを、

 

学んで、

 

わかって、

 

腹落ちできていても、

 

その「ちがい」を

 

受け入れられないケースも、

 

ある。

 

 

自分に「素直」になれたからといって、

 

誰にでも「素直」を差し出せるわけではない。

 

 

 

それは、それだけ

 

相手のことを「わかろう」と、

 

自分なりに努めたプロセスがあっただけに

 

悲しいけれど、

 

どうしようもない。

 

 

今回は無理なのだ。

 

悲しいけど、

 

仕方ない。

 

 

だから、

 

わかろうとしなくてもいい。

 

わかりあえない代わりに

 

私ができること。

 

 

それは、

 

「わかろうとしなくていい」

 

という選択を私にさせてくれたことに、

 

「わかりあえないこともある」

 

という経験を私にさせてくれたことに、

 

こころの中で

 

感謝をして、

 

そっと、、

 

離れる。

 

 

 

 

 

そんな気づきを得る日も、

 

ある。

 

 

 

🌿そこに痛みがあるってことは…愛があるってこと。

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