小学生にだって
大人にだって、毎日なんだかんだ色々ある。
言ってないだけで、色々ある。
そうだよね。
こんにちは、まきこです。
今日は、
先週拾った、一つの「問い」から湧き上がる、
あれこれについてのお話です。
「私は、土だと思った」
理科の時間、自分の意見を発表する時間があってね、
そこで私が答えたことが
みんなとちがってた。
え、ちがうんじゃない?みたいな空気になって、
自分の思ったこと言うのが不安になったし、こわくなっちゃった・・・
「発芽するために必要なものは、
何だと思いますか?」
「なるほど、土かぁーーー!
それ、私は思い浮かばなかった。
私は太陽の光かな?と思った。
土かぁーー。めっちゃ土台の部分に気が付いたんだね。すげーわ!」
「けどね、ちがうの。答えはちがった。
土は必要ないんだよ。脱脂綿でだって発芽するし。」
「え、じゃ、答えはなんなの?」
「水、空気、、適度な温度。」
悲しそうな顔をして
平らな声で娘が教えてくれた
「答え」を聞いてから、
「ホントにそうなんだろうか、、、?」
私の頭上に大きなクエスチョンマークがドドんと乗っかった。
トボトボと登校していった娘不在の家で、
掃除機をかけながら思う。
脱脂綿で発芽できたとして、果たしてそれは誰が望んだことなんだろう?
発芽できたその芽は、それを望んだんだろうか?
小5理科の時間に投げかけられていた問いは、
大人の私には、
「人生において、
発芽するために必要なものは、
何だと思いますか?」
と壮大な問いに、たやすく変換させられた。
こういうめんどくさい自分のことを、
最近は無視しない。
そういう発想をするから、
私なんだって、
そんな自分を引き連れて歩いている。
だから、みなさんはどう思いますか?って
Facebookで聞いてみた。
湧いて出た気持ち、
気づいたことを自分の言葉に置き換えて投稿することには、
特に抵抗を感じずできるようになったけれど、
読んでいる人に向けて
「質問を投げかけること」には、
躊躇と不安と、こわさがあった。
誰も答えてくれなかったらどうしよう
とか
そんな質問してどうすんの?って思われやしないか
とか
めんどくせー
とか
色々。
そうこうしているうちに、
「みんなはどう思うのか聞いてみたい」
そのきもちこそ、「発芽」しかけてる?
というところに辿り着き、
発芽していいよ、大丈夫って自分でGOサインを出せた。
その投稿には、
予想を超えてたくさんの方が思いをコメントしてくれて、
その一つひとつが真剣に「発芽」していて、
読んでいると、ホントに感動するし、
どれも、ステキな「回答」で、
読ませてくれてありがとうって感謝のきもちが湧いてくる。
(コメントしてくださったみなさまの回答がホントにステキ)
正解は「◯◯です」って決まっていて、
その通りになるように動くことが必要な時だってある。
でも、人生には、
自分を正解にする「勇気」が必要な時もあるし、
自分を正解にして、その「全責任」を引き受ける時もある。
正解を探すことよりも、
正解にしていくことのほうが、
今の私にはしっくりくるんだなぁ
と感じたお話でした。

