わかってもらいたかった人
わかってくれると思った人
から入る
「否定」は、
堪える。
真剣に取り組んできたことに対する
「否定」は、
さらに堪える。
相手に対して
私と同じように捉えてほしかった、
わかってほしかった、
けど、ちがった。
全然ちがう捉え方された
さらに否定された、
みたいなことがあると
相手に対し、
怒りすら覚えてしまう。
当たり前すぎて忘れてしまうけど、そうなんだ。
相手が自分とは別の捉え方をするのは
おかしなことではなく
むしろ、当然。
そこは、もう、
自分の領域から外になる。
人は誰しも、
その人なりの
正しさを持ってるんだな。
あなたは
そう捉えたんだね。
という、
呪文を唱えてバリアを張って
正しさのレベルがお互いにちがっていることを理由に握りしめた、
綱引きの綱を
スッと離すんだ。
フォーカスするのは、
どちらが
正しい!
間違ってる!
理解できない!
ではなくて、
いかに
お互いが自由に
本音を差し出しあえるのか。
そこには、共通の望みが
きっと一つ、
あるんだ。
だから、
できるって信じよう。


