今日は金曜日。
1週間という時間には色々あって、
今週の私は、
「子供が学校に行かない」現象に、
とにかく翻弄された。
「子供が学校に行かない」
という事象によって、
そこまで体調は悪くなさそうに見えるのに
子供が「学校に行かないこと」
=(イコール)
悪いコト、
まずいな、
この先どうなっちゃうんだ?
不安だ
という
ものの捉え方(今回は思いっきりジャッジ)をしている
わたしがいる、
ということを
淡々とクレッシェンドにして(次第に強く)
知らせているんだ、
という「気づき」を
受け取ることになった。
現象が起きたことで気づくのは、
私自身が
どんな「ものの捉え方」をしていたか、
どの「視座」でそれを視ていたか、
なにが「自分にとって」の判断基準なのか、
ということ。
今回のように、
「子供が学校に行かない」現象には、
もちろん、子供への「対応」が必要になるけれど、
最終的には、
自分のこころに何があるのかを
知りに行く(自分と向き合う)ことで、
感じ、
気づき、
腑に落ちたことの全てを
インストールし直して
自分自身を
「アップデート」する
ことのほうが重要になってくる。
アップデートを怠ると、
そのお湯に
(「子供が学校に行かないことを問題だと思っている私」というお湯」)
浸かり続けることになる。
おかげで今週は、そのお湯にどっぷり浸かり、
金曜日の今日は絶不調の記録更新もして、
沈むとこまで沈んでいった。
現象は解消したわけではないし、
また来週も
「やぁ」
といって、いつも通りの顔をして
やってくる可能性だってだいぶ高い。
けど、
「私は、
「子供が学校に行かない」ことを
あんな風に「捉え」て「視て」いたんだな。
それは、私の都合が「悪い」から、
そんな風に感じたんだな」
ということに気づけてる、
ところまでのアップデートは終わっている。
「お知らせ」や「サイン」、
という言葉を時々目にして、
なんか特別な感じがあるように
今まで見えていたけれど、
毎日「お知らせ」や「サイン」は、
「現象」としてやってきていて、
それを受け取るのか、
まだ受け取らずに漂わせておくのかは、
自分が決めているんだなー
ということにも、
気づけた気がする。
今週も、おつかれさまでした。
マジで。笑

