子供は望みを放つ天才だ。



よくよく聞いていると、


彼らと過ごす一日の中で 


彼らから発せられる言葉のほとんどは、


自分の「望み」しか言っていない、


ということに気づく。


彼らからすると、


いつの間にか


自分の「望み」を放たないまま、


子供の「望み」に対して


「口出し」してばかりいる


私から発せられる言葉は、


さぞ


「不思議」で、


「あーあ」で、


「雑音」で、 


「不快」


だったんだろうな、と思う。



ひと息つこうと座った瞬間に、


「ママ〜?」


と呼ばれて話しかけられると


つい、


うるさいうるさい


と思っちゃうんだけど


いざ


しゃべってみると


うるさいうるさい


を作っているのは


私のほう、だったりする。




最近、やっと、


自分でも自分の発言が


言った瞬間にモヤモヤして気分が悪くなる


「雑音」なのか、


それとも、


そうだ、これだ、しっくりくる


「望み(本音)」なのか、


という分別がつくようになってきた。






「親」という漢字は


「木の上に立って見る」と書いて


「親」なのです


と、


かつてどこかで聞いて、納得したことがある。




それは、


親は、


子供を「見守る」


と、長年解釈してきたけれど、


親は、


子供に芽生えた「望み」の「邪魔をしない」


と思ってたほうが、


無自覚に行く手を塞ごうとしていた自分に


軽く気づいて


サッと、どいてあげられそうだなぁ。笑




息子の最新の「望み」の場。












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