2年前の春、
私たち親子は父の友人の親切なサポートの下、
フィリピンのミンドロ島という島へ旅行に行った。
観光客は私たち一行がいるくらいで、
息を呑むほど美しいエメラルドブルーのビーチで泳いでいるのは、
たいていの場合、私たち親子三人だけだった。
それはそれで良かったのだけど、
浮き輪をつけ、チャプチャプと波に全てを委ねて
呑気に浮かんでいたら、
結構な速さで横に流されて
あっという間に最初にいた砂浜から離されていく、
という顔面蒼白になるこわさを
早い段階で思い知らされることになった。
砂浜には、唯一の、そして無機質な、
だけど、
頼り甲斐のある
3メートル近い棒が立てられていた。
横に流されて、こわい思いをした後、
その棒の存在を、
私たちの「現在地」を知る「目印」とし、
「あの棒からあっちに行ってはいけないね」
という取り決めをし、
たびたび、その棒の位置を確認しながら遊び、
無事に戻ってくることができた。
あれから2年以上経った今でも、
時々あの棒(目印)のことを思い出すことがある。
自分の発言が雑音にしか聞こえない時。
こころの声が聞こえにくくなる時。
自分の本音がどこにいったのか、、?
自分のハンドルは自分で握る感覚をわかってきたつもりが、
あれ、私、わからなくなってる
後戻りしたようなきもちになった時。
あの日、
ただ浮いていたつもりが、全然違う場所に流されていた時のように、
ホームが一体どこなのか、
自分がどれだけホームから離れてしまったのかを
確認出来る「目印」を持っておくことは
結構大事なことだと思うんだ。
自分だけが影響力があるかのように勘違いして、
子供の行動をコントロールするような発言をした時。
(他人のハンドルを奪い取る)
他人からの反応に一喜一憂して
思ってたことをあっさり諦めて
違うことをし始めそうになった時。
(自分のハンドルを他人に明け渡す)
日常の中の「目印」は、
自分に対して
「問いを立てる」ことだ。
私は、
何のために、それを言おうとしてるんだ?
私は、
何のために、それをやろうとしてるんだ?
ブレない「目印」は、
(心)強い。
「問い」は、
こころを整える。


