死は存在するのか?生死感を考える | スターしんちゃんのブログ

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著書、神との対話の中に高度に進化した存在たちは、相手が攻撃してきて、たとえ肉体的な生命を奪われたとしても、抵抗する事はないというくだりがあります。

 

なぜなら、「彼らは生命は永遠で、もう一度すべてを創造できる事を知ってるから」とあります。

 

「たとえ生命、愛する者、財産を奪われてもその相手が未熟で、ただ遅れているから」だと、、そこに恐怖も怒りも憎しみもありません。

 

遺恨とか怨念とかってありません😅

 

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「攻撃して来た相手を攻撃し返す理由はただ1つ、攻撃された側が本当の自分を忘れているからだ」とあります。

 

勿論これは著者が高次の自分との対話から得た1つの情報なので、これが正しいという訳ではありません。

 

私達が目指す生死感の1つかなと思います。

 

これらは決して肉体的な死を軽ろんじている訳ではありません。

 

こうもあります、「究極の現実に死は存在しない、ただのつくりもの、工夫、想像上の経験だが、死をつくったことで、生命がもっと大切になる」と、

 

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肉体は魂の乗り物とも言われるように、その役目が終わるまでは、大切に扱わなくてはなりません。

 

ついつい食べ過ぎたり飲み過ぎたりしてしまう事もありますが😅

 

最近よく聞く臨死体験者のお話も、死は怖いものでも悲しむものでもないとあります。

 

私たちの生きる今までの社会は、精神性が置き去りにされ、高度な技術だけが発達した社会だったかもしれません。

 

生死感は人それぞれですが、出来るだけ恐、憎、悲、悔などを残さないで旅立ちたいものです。

 

戦争をはじめ相手を攻撃する、訴える、裁判、訴訟など争うという事が、いかに未熟な社会で、恥ずかしい事であるかに気付く日が早く来ることを願っています。

 

 

 

ゆるしん整体院

     院長  井上真二

 

京都府福知山市中ノ100-26

施術時間

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午後2時〜6時

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