おかげさまで45歳の誕生日を迎えました!
今年は今まで以上に、穏やかで幸せな感覚でこの日を過ごしています。
(現実的には四人の子供たち+大きな子供の世話で、朝からバタバタで全くそんな感じはしない、普通の1日ですが^^)
5月末の白内障の手術から半年以上が経ちました。
濁りすぎた結果のデータと実際の数値との誤差により、多焦点レンズをいれたものの近眼の状態になりました。そのため、視力は上がることはありません。
ですが、半年経って頭痛や眩暈もだいぶ少なくなり、ようやく日常生活が支障なく送れるようになってきました。
そんな訳で、このブログもすっかりご無沙汰になってしまいました。
SNSも時折ちらっと見る程度でしたが、最近は少しずつ見ています^^。
この動けなかった半年の間に、私にとっては初めての選択がたくさんありました。
過去にも動けない経験が多い私ですが、今回の体験は全く別のものになりました。
今までも、アトピーが酷くなったことで朝は浸出液と血だらけの瞼を泣きながら洗って開けることから一日がはじまり、夜は痒みで眠れず気が狂いそうになりながら朝方ようやくウトウトする…誰かがそばを通っただけで、掻きこわしてしまった皮膚が風に触れて叫ぶほど痛くて泣いてしまう…
そんな毎日に自分が生きている意味はあるのか?何のために生まれてきたのか?答えのない問いに苦しみながら、ただ耐えて何もせずに一日を消費している感覚で過ごした辛い日々が、半年や一年近く続いたことが、人生に何度も何度も訪れました。
4人の子を産む度に、それぞれ違った不調に見舞われ、外に出られないどころか日常生活を送るのが困難な時期も度々ありました。
そういう意味では「動けない期間」というのは、今までも私の人生には頻繁に訪れていました。
ですが、今回は自分の「本質」を知った上での物理的に動くことができない時間。
苦しみというよりも、停止していないといけない期間を迎えました。
私の本質として…
あくまで今の時点で言葉にするならば…ですが、「動き続けてしまう」ようなものがあります。
常に常に何かに集中しているので、その瞬間瞬間で集中していることに対して動き続けてしまいます。
動かない、ということがよくわからない…とも言えます。
なので、過去の動けないとき、その辛さ厳しさにプラスして、動けないという絶対的な苦しみを体験し、振り返ると人生を終わりたいというまでの諦めに近い感じを持っていました。
そして常に「本当は動きたいのに」という焦りとともに全てがありました。
それが逆に不甲斐なさを増して自己否定を深めていきました。
動けない期間は、自分自身でない期間…そう捉えていたと思います。
生きていないような感じです。
今回もなかなか「動かない」ということはわかりませんでした。
本質は変わらないので^^;
でも、焦りは予想以上に少なくなっていました。
それは、
バトン*の場でたくさんの人の本当の人生を知ることによって、本質的な人生というものを理解できたからだと思います。
(全国を周るカウンセラー そらさんの「本質的な人生のバトン」という場です。)
その場で、長年苦しんだアトピーも大きく改善し、様々な自己否定も消えて無くなりました。
そして、本質的な人生という
私たちが信じている人生の見方とは全く違うものが、本当の人生の流れだということを知ることができた。
そのことが私にとっては、体の改善以上に私を幸せにしてくれたことでした。
人生は計算で動いていないこと。
計算していない先に計算以上の人生があること。
そこに、本質という視点からは完璧なまでに意味があるということ。
全く違うそれぞれの本質的な人生が、美しく織り成されていること。
それを事実として知ることができたこと。
(こういった文章ではなかなか伝わらないことは承知ですが…)
それがあったからこそ、動き続けてしまう私にとって初めての
「自分で選択した動かない期間」を乗り越えることができました。
そして何より、過去のような動けない期間の諦めの感覚や否定的な感覚が、私の中にはもう無いことを実感できました。
動かないがわからない私は、社会的にはお休みの期間中もちょこちょこと新しいことをしてみたり、あちこちに集中してみたりはしましたが、
でもそれは、いつでも戻れる「わたし」があるという絶対的な安心感の中ででした。
そして、ただただ想いの中にいる…そんな人たちを知っている安堵感。
それが確実に自分の中にあることを、この動けない期間に逆に確認しました。
もう動けない期間は自分自身じゃない期間ではない。
私はどんなときも「わたし」だということを、感じ続けられました。
シンプルに。
私はひとりでも多くの人に
本当のその人自身を感じて欲しいと願っています。
私たちは、今あなたが想像するものをはるかに超えるほど
それぞれ全く違う本質を持っています。
それぞれ全く違う人生を織り成しています。
何ができる、できない、何が得意、不得意、
そういった行為や結果や、性格や体質でさえ
全く、あなたそのものではない…可能性があります。
そう言ってしまえるほど
本質は言葉にできないほど深く豊かで
驚くほどそれぞれがオリジナルです。
私は、そのことを、ぜひ知ってほしいと願っています。
過去の私のように
人生に自分自身でない期間があるように感じている人へ。
病を治しても、まだまだ先があるように感じて途方に暮れている人へ。
社会の評価が自分自身の価値ではないと知っていても、
振り回されていると感じている人へ。
自分を好きになろう愛そうと『感じること』を追い求めても何も見えてこなかった人へ。
問題を解決することが人生じゃないとわかっていても、
問題に向き合うことしか知らないという人へ。
成功している方が幸せそうじゃない…と気がついているけど
その人の言っていることを信じるしかないとモヤがかかっている人へ。
「様々な感情が、自分の人生の邪魔をしている」そう思って向き合っても
何も見えてこない人へ。
私が話せることを、お会いしてお話しできることを願っています。
45歳の誕生日に、また新たに
変わらない想いを感じながら。
谷口真美
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