今年の10月末頃でプログレスの月が12ハウスを出て1ハウスへ移動します。
もう何回もプログレスの月12ハウスのことはだらだら書いたりしていますが、今日もそれっぽいなぁと思った文章を見たのでそれを紹介しようかなと思います。
プログレスの月が巡ることで、各ハウスを約30年の間に数年間だけ体感できると思うのですが、その時にしか気が付かないような感覚もあるのかなと思うのでただの備忘録ですが。
ただ面白いなと思うのが鑑定を申し込んでくださる方も今プログレスの月が12ハウスという方が多いこと。
同じような人が集まるっていうのもあるだろうし、この時期だから占いを利用したいと思うのかもしれないなとも思います。
そんなわけで、今日ご紹介したいのは江國香織さんの「物語のなかとそと」に収録されている「食器棚の奥で」というエッセイです。
十三歳から十五歳。
その日々について私が何を憶えているかというと、孤独だったことです。
食器棚の奥の、使われていない食器みたいに孤独だった。
それで、もうそんなふうでないいま、何が言えるかというと、あれは必要な孤独だったのだということです。
食器棚の奥でじっとしていたひんやりとした時間、その仄暗さ。
私はそこで私になったのだと思う。
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・(中略)
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子供のころ、私は夢をもっていませんでしたし、打ち込めるものも好奇心もありませんでした。
友達も、そうたくさんはいませんでした。
では毎日何をしていたのかというと、ただ見ていた。
他人を、世界を、自分とはつながりのないものとして、ただ見ていました。
何しろ食器棚の奥の食器ですから、他にできることがなかったのです。
自分と自分以外のものがつながったとき、世界はいきなりひらけます。
これは本当です。それまではじっとしていていいの。ただし目はちゃんとあけて、耳を澄ませて、体の感覚を鈍らせないように。
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何もかも自分で感じること。
食器棚から出たときに、それが基礎体力になるのです。
12ハウスのときって何もしたくないなぁ・・っていう無気力感も感じると思うし、孤独を感じるかもしれないです。
逆に何かしないといけない!とも思うかもしれませんが、手当り次第過ぎて目標もあんまり持てないかもしれないです。
でもまあそれで良いんだとも思います。
私も突然鑑定をやめてひたすら関係ない本を読む毎日の時もありましたし、何してるんだろう?と思うことも多々ありました。
てか、まだそんな感じもあります。
でもまあそれって必要なプロセスなんじゃないかなと江國さんが言うように思ったりします。
まだ12ハウスから出てないから分かりませんけど。
まあやる気がなくても、特に目標が定まってなくても、自分や世界を見ておけば良いんだとも思います。
自分と自分以外のものがつながったとき、世界はいきなりひらけます、っていうの良くないですか
そうだよなぁ〜と思ったりする。
つながるためには感じることも大事だし、目標がいまいち不明でも準備しておけることはやっておくと良いと思います。
その繋がりが1ハウスに移動したら何となく来るのか、それは分かりませんが、いろんなことを見て感じて基礎体力をつけておくことがプログレス12ハウスの月的なことなのかなぁ、と思います。