っていうのは私なんですが・・・
今日も話がごっちゃごちゃなんですが、自分の2ハウス木星と12ハウスの金星・海王星ぽいことなのかな、と思ったことです
先日、姉と話していたときのこと。
色々な話の流れから、姉が「昔はうちん家は貧乏と思ってた」と言いました。
私としたら、そんなこと思ったことがなかったので「へ?どこが?別に困ったことないやん」と言うと、確かに貧乏ではないけど別に裕福でもないし、なんならちょっと困ってる時があった気がする、という発言。
「でも別に何を買ってもらえなかったわけでもないやん?」って言うと、「でも何も別に買ってもらってもないやん」っていう姉。
まあ確かにおねだりして何か買ってもらうことはなかったと思うし、私は特にいつもいつも姉のお古の服しかなくて怒ってた記憶はあります。
でも自分としては何も不自由さとして捉えてなかったですし、実際生きていくのに一切困ったことはないので、貧乏っていうのはちょっと表現として良くないかなと思います。ん〜、親は苦労してた時期があるっていう意味あいぐらいのことですかね。
自分はまだ小さいときのことなんで覚えてないのもあるかもしれませんが、姉は小さいながらに家庭の色んなことを見ていてそう思ったっていう話でした。
まあどこからを裕福でどこからを貧乏とするかのレベルは人それぞれなんで置いとくとして、自分は2ハウスに木星があるからか、やっぱり何か別にいつもお金に困ることがないような気がしてるのかもしれません。
それは現実にお金がある・ないじゃなくて、精神的な問題?ではあるんですが・・
実際アパレルのときも給料が少なかったし、アメリカに来てからもお金はそこそこなかったけど、私って貧乏だなみたいに自分のことを思ったことがほぼないってことです。
だから何ならずっと実家は裕福な方だと思ってました。でも姉に色々聞いて自分は見てなかった事があるんだなっていうのにも気がつくと言うか。
まあこの話を聞いてただただひたすらに両親に感謝だし、尊敬でしかないなって思って泣きました(すぐ泣く)
もちろん自分の2ハウス木星がそういうふうに思わせてくれてるのかもしれませんが、その木星は家族のおかげだなぁって思います。
そういうのも全部ひっくるめて自分って恵まれてるなって思うんだと思います。
あと自分は思い出を美化しがちだと思います。
だから全てを良きものとして心のクローゼットにしまいがちです。
これは12ハウスで金星・海王星コンジャンクションだからかもしれません。
昔のことはだいたいきれいなものになってるからか、姉みたいに現実的に覚えてないってのもあるのかもしれない。
これは少しずれる話かもしれませんが、つい最近チェルシーっていう飴が販売終了しましたよね。
私はこのニュースを見て、母との思い出の飴やったのに・・と思ってすっごく悲しくなりました。
自分は小さいときの怪我で、中学生ぐらいまで毎年母と京都の病院に検査に行ってました。
病院で待つ時間ってすごく長くて、1日がかりの出来事なんですけど、そのときに母と一緒にチェルシー食べたりして楽しかったなぁ、っていうのが私の美化された思い出なんです。
で、それを母に言ったら「そうやったけ?」っていうめっちゃ素の反応おーい
チェルシーの思い出に浸ってるのは私だけで、母にとったらただの飴っていう悲しい現実なんです・・
こんな感じで、だいたい全てにおいて思い出が美化されて、無数のロマンチックな記憶になってるんですよね。
よく言えば幸せな人ですね、っていう感じですし、悪く言えばロマンチックがすぎて現実を見てないんだろうなって思います。
自分は一人でいる時間が結構好きな方なんですが、多分こういうロマンチックさを楽しめるからかもしれません。
人といるとどうしてもこのチェルシーの思い出みたいに、私の浪漫がぶっ壊されるんですよね
まあだから金星・海王星ってちょっと繊細ぽいところがあるんだろうなとは思います。現実にがっかりしちゃうみたいな。
特に自分は12ハウスっていうのも大きいと思いますが。
だからこういうのを芸術家ならそういうところで発散するべきだろうし、私なら一人で楽しむ時間を持つべきなのかもしれません。
でもたまに現実見たほうがいいですよね〜
っていうこれはなんなんだ、っていう話になってきましたので終わります