タイトルが可愛いなと思っていつだったか買っていたまま忘れていた、益田ミリさんの「アンナの土星」を読みました。
やっぱりアセンダント山羊座としては土星と名のつくものは何となく気になります(関係ないけど)
お話は14歳のアンナの中学生らしい悩みとか色々の日々です。
私は中学生の時の楽しかったこととか、それと同じぐらいあった嫌なこととかそういうのを時々思い出しては、胸がきゅーーーっとなるタイプの人間なので(どんな)アンナの何気ない日常を読んでは、そういうのあったよなぁ、って思い出したりしました。
共感できることもある中で私にはないことが、宇宙オタクの優しいお兄ちゃんの存在。
「なぁ、アン、冥王星のことなんだけど」と突然言ってくるようなお兄ちゃんは私の思い出にはいませんし、突然ヘリウムガスで部屋に浮かぶ月を買ってきてもらったことはありません。
「冥王星が急に仲間はずれになったきがして気の毒に思う」と何故か落ち込むお兄ちゃんに「冥王星は多分そんなこと気にしてないよ」というアンナの会話とか、嫌なことがあって「もう遠くにパーッと行きたい、いっそ木星とか」というアンナに「木星はガス惑星だから地面がなくて暮らせないよ」というマジレスしてくるお兄ちゃんの真面目さに笑ってしまいました。
そんな中で初めて知ったのは15年ごとに土星の輪っかが見えなくなるということ。
いつもの輪っかが一本の棒のようになって「串に刺したお団子みたいな、愉快な土星」に見えるそうです。
こう聞くと土星めっちゃかわいくて、怖いとかいう印象もあんまりなくなるような。
占星術師の方の中には、ちゃんと実際の天体を見たほうがいいよっていうタイプの方がいると思うんですが、こういうのを読んでいると本当にそうだなぁ〜って思います。
どうしても土星は「♄」のマークで捉えてしまっているところがあるし、他の天体のことも記号でしか考えれてないんですけど、そうやって実際に大きな宇宙のどこかにある惑星の影響を我々は受けているんだな、ってもう一度考えられるような気がしました。
串刺しになった土星を見た帰りに、お兄ちゃんが言うセリフも印象的でした。
「俺は宇宙の謎を解明したいって気持ちよりも、実は今夜見た星の美しさを誰かに伝えたい気持ちのほうが、大きいんじゃないかって。その誰かっていうのは、たくさんの人っていうより、もっともっと身近にいる人って気がするんだ。」
色んなことを勉強して答えを知ることもすごく大事なことですが、今夜見た星のことを誰かに話しながら生きていくのも悪くないよね、ってところにすごく共感しました。
宇宙ってめっちゃめちゃめちゃ不思議だなって改めて思いました(語彙力)
そして宇宙が好きな人って、この本に出てくるお兄ちゃんみたいに大らかで優しい人が多いような気がします(しらんけど)
宇宙にあるたくさんの銀河系の中の1つの惑星でしかない地球に、色んな奇跡が重なってこうやって今生きてるっていうことを考えるから、謙虚なのかもしれないよなぁなんて思ったりしました(壮大)