先日ふとトイレの壁を見ていたら、壁のシミが人の顔に見えました。
こういう「実態のないものがなにかに見える」っていうのは海王星っぽいことなのか?とトイレをしながら思ったりしまして。
他にも雲を見ていると、大きな鳥に見えたりとか、何かしらに見えるってこともよくありますよね。
龍に見えたら幸運だとか、スピリチュアルなメッセージがあるとかも言ったりしますが、そういうのも海王星っぽいのかなって思ったりしました。
こういう現象をパレイドリア現象というそうです。
パレイドリア現象に似たものでシュミラクラ現象(パンジーやコンセントの差込口が人の顔に見えるなど)もあるそうです。
その辺の違いは興味があったら調べていただくとして、共通することは「本来存在しないものを存在するかのように錯覚させる現象」だということ。
シミュラクラ現象はフランスの哲学者ジャン・ボードリヤールが著書で発表したのが始まりらしいですが、
私の説明能力は0ですので詳しくはここを読んでもらったほうが。
まあそんなこんなで調べてると、このボードリヤールの「記号論」という思想を受けてできたのが無印良品だそうです。
大量消費社会では商品やサービスの実際的な価値よりも、ブランドなどの記号的な価値が重視されるというのが記号論というものらしいですが、簡単に言えばシャネルのマークがついてるという事実が、実際のバックの実用性よりも価値があるっていうことでしょうか。めっちゃ簡潔に誰も書いてなくてよくわかりませんがそういうことだと思う。
バブル経済の当時はブランド物をもつこと(消費すること)で自分が何者かになれるっていう時代で、その何者かになれなかった人たちは自己啓発とかカルトに流れていったそうです。
デザインで幻想を見せることも、カルト宗教も海王星の側面って感じですね。
そのころのセゾンカード(セゾングループ=無印の会社)のキャッチコピーが「なーんだ、さがしていたのは自分だった」っていうのが何かちょっぴり怖い私です。
そんなセゾングループが、その記号を一切なくす、デザインがないことを売る、知性を売るっていうコンセプトで作ったのが無印良品だったらしい。
バブル経済の時代の流れとは反対の方向に行く、そのアンチテーゼとして生まれたっていうのも、デザインやパッケージの簡略化=不要なものを削ぎおとすっていうのも天王星ぽいことだと思います。
割れた椎茸を売るとか、その当時不揃いのものを安価で売るっていう発想もなかったらしいので、そういうのも画期的ですね。
ちょうど前回の講座で無印良品の星を見たときに、月が水瓶座だったことを思い出したので、なるほどなぁと思いました。
海王星っぽいことに飽きた人とか、当時としてはすごく新しいコンセプトに目がいったお客さんに受け入れられたのかもしれません。
デザインとか海王星っぽいことは全く悪いことじゃないですが、デザインには「謀る(よくないことを企む)」という意味もあり、デザイン教育には倫理観がいるってどこかに書いてありましたが、まさにそうだなって思ったりします。
もう書きたい事をぶちこんだだけになってしまった・・・
何かもうちょっとうまいこと書きたかったけど、トイレで考えたことからここまで来るのに頭の中がわちゃわちゃでこんなことになってしまいました 何の言い訳