こんばんは。

 

吉田 博美でございますニコ

 

 

わたくしごとですが、

先日確定申告が終わりやれやれと思っているところですが、

まだ優先的にやるべきことが、実はずっと前からありました。

 

それは「自己開示」。

 

一年以上前に途中まで書いて、

「続きます」の言葉を最後に全然続いていませんでした💧

 

 

 

 

 

 

ブログのプロフィールにも記していますが、

わたしの人生は30代中頃までは波乱万丈といいますか、

私の中での暗黒時代でした。

 

もんどりうって苦しみに苦しみ抜いていた頃でした。

 

現在私は50歳。

35歳でうつから抜けて、

今はやっと人生のスタートラインに立ち、

挑戦したいことに挑戦する、というフェーズに入りました。

 

なぜ40代後半で、ちょっと遅めのスタートラインだったのかというと、

幼少時代に失われてしまった自尊心を、

再び取り戻すまでに何十年もの時間がかかってしまったからです。

 

 

20代30代の回想は、ところどころかなりヘビーになりますので、

この先は、自己責任でお進みください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一年半越しに前回の話の続きです(笑)。

 

 

大学時代、初めて付き合った彼が、

3~4年目にして「虚言癖持ち」であると発覚。

 

今ならそれは「即お別れ」しか選択肢がないとわかるのだが、

当時の私の自尊心の低さのなせる技で、「別れられない」。

 

ほどなくして、自分の友人を通してたまたま知り合った人が気になり、

その人とその後何度か会った。(仮にBさんとします)

 

付き合っている彼は、複雑怪奇で繊細で気を遣うので疲れてしまうが、

Bは彼とは違って落ち着いていて、大人に見えた。

 

その後、Bと付き合うことに私の心は固まっていった。

 

彼が私の家の前で待ち伏せしているところに、

私とBが車で帰って来たのを見つけて、彼は錯乱状態になったが、

私の心はすでに決まっていたため、別れを告げた。

 

 

それから少し経って、

別件で受診した産婦人科で、妊娠していることがわかった。

Bとは関係を持っていない為、相手は元彼。

 

まずBに話した。

Bは産みたいなら二人で育てようと言ってくれた。

 

元彼に話すと、

そんなこと(自分との子どもをBと育てる)になったら、この先自分が子どもを持てない気がするから、手術して欲しいと言われた。

(これも随分変な理屈ですね、今思うと。)

 

そして当人である私。

妊娠がわかって天地がひっくり返ったかと思うほど驚いていたのも勿論ある。

だけど、シンプルに嬉しかった。

それは、夢の一つが「子どもを産むこと」だったからだ。

 

私は本当は男で生まれたかった。

でも女に生まれて良かったのは、子どもが産めることだ、と物心ついた頃から思っていた。

 

それで実際問題、その子を産めるのだろうかと考えた時、

無理だと思った。

 

当時私は22歳で海外の短大か大学に留学するための資金を貯める為、

ガソリンスタンドでアルバイトをしていた。

 

どんな形であれ、「出産」となると、

その時すでにあった人生設計はガラッと変わる。

 

留学はできなくなるし、

子育てに追われてあっという間に数年が過ぎ去るだろう。 

子育てが終わってからの留学は、もはや出来る気がしない。

 

留学を諦めるか、

子どもを諦めるか。

 

 

留学のことだけでなく、

自分は、いきなり母親になれるのか。

シングルマザーで?

もしくはBと一緒に育てる?

もしくは元彼と関係修復して一緒に?

 

このどれもが激しく「違う」と感じる。

 

私は「産まない」という決断をした。

 

 

手術当日は、元彼が付き添ってくれていた。

 

 

手術台に乗って、数を数えるように言われたが、

20まで数えても意識はハッキリしていた。

あきらめて数えるのをやめた。

私は麻酔が効きにくい体質だった為、

意識があるまま手術が行われた。

 

水中に潜っているように、音がゆがんで聞こえた。

 

痛みで呻き声が出る。

看護師さんが手をギュッと握ってくれているのを感じる。

 

手術前に、

天井の眩しい照明を仰ぎ見ながら思ったのは、

今頃いつものように店で働いているであろう両親のこと。

私がこんなことになっているのを知ったら、ひどく悲しむだろうなと。

このことは打ち明けず、一生墓場まで持っていくと決めた。

 

手術が終わって病室に戻ると、元彼は泣いた。

私も泣いた。

 

そして酷くシクシク痛むお腹を庇いながら、

病院を後にした。

 

 

その後体調は、数日良くなかった。

 

サラサラの、生理とは違う血が出続けて怖かった。

 

術後に飲む、子宮を収縮させる薬を飲みながら働いていたら、

お腹が痛くて立っていられない程になったので早退した。

 

それまで見たこともないくらい大きな赤い塊が出て来て、

恐ろしくなった。

 

体調の不安定さに伴い、

メンタルがジリジリと崩壊に近づいていた。

 

それまで頑張り続けて張り詰めていた、糸が切れた。

 

術後襲って来た罪悪感は、

とんでもなくデカかった。

 

術後の経過を見るため受診した時には、

医師からの問いかけにも宙を見つめたまま、すでに鬱状態だった。

 

Bとは付き合っていられるような精神状態じゃなかった。

それどころじゃなかった。

 

Bにはルームメイトの女の子がいて、

その子は実際はルームメイトではなかったようだが、

上手くいっていないから私の方に来ていただけで、

私の様子が変わったら、その子に戻ったみたいだったので、別れた。

 

元彼は、私と別れて1週間経たないうちに新しい彼女をつくった。

 

気がついたら、私だけが独りで、

私だけが心も体も痛くて、

男性は痛くも痒くもなく、女性だけが一方的に負担を背負う。

理不尽だ。

 

これが当時の心境だった。

 

 

体も傷つき、もう二度と子どもを授かれないんじゃないか、

という恐怖心でいっぱいになっていた。

 

男に生まれたかった私が、

唯一女に生まれてよかったと思うことは、

子どもを産むチャンスがあること。

 

それが夢だったから、

絶望のどん底に落ちた。

 

ネガティブスパイラルにハマった。

 

元彼と元サヤに戻ってまた子どもを作るしかないと

血迷って、新しい彼女との仲を引っ掻き回した。

 

私という「障害」があることで、

かえって元彼とその彼女の絆が強くなったようだ。

 

なにをやっても裏目に出る。

 

もはや、なにをやっても上手くいかない。

いくはずもない。

 

私はやっと、絶望的な状況であるということを自分の中で認めて降伏した。

 

働くこともできなくなり、仕事を辞めて家に引きこもりになった。

 

 

自室に篭って、なぜこんなことになってしまったのか、考えた。

 

一連の出来事がきっかけで、私はすっかり自分のことが大嫌いになってしまった。

それが真綿で首を絞めるみたいに、

その後何年もかけてジワジワと自分を殺していくことになる。

 

自分のことがわからなくなったし、

自分が怖かったし、恐ろしかった。

自分を信用できなくなった。

 

子どもは諦めると決断した時は、

留学する夢を諦められないというのが理由のひとつだったのに、

今では、子どももいなければ、留学どころか精神を病んで引きこもりになり

気がつけば、全てを失っていた。

 

 

どこにもやり場のない悲しみが、

自分への怒りと憎しみになり、

自分自身を攻撃することだけが唯一の捌け口だった。

 

人間は、自分の都合で人の命をも奪って生きていくという、

ある種、人間の中に埋め込まれている普遍性みたいなものが自分を通して見えた気がした。

 

こんなことが起こるまでは、自分がそんな人間だなんて思っておらず、

なんだかんだ言って自分はそこそこ「いい人間」だと思っていた。

 

でも、どんな人間でも「縁さえ 催せば 人をも殺す」のだ。

 

 

 

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今は、当時とは考え方も価値観もかなり相違があるから、

あの頃に意識を戻して当時の自分の気持ちを書いていると、

すごく疲れる。

 

 

そして怖いぐらいに登場人物、全員非ダイヤモンド。

(※ナリ心理学でいうところの非ダイヤモンドとは、自尊心を見失った状態の人)

だからトラブルが起きてる。

 

私も相当立派な非ダイヤだったな、と。

 

視野が狭くて、

森なのに木を見てるし、しかも虫メガネで見てる。

近過ぎてなにも見えていないみたいだ。

 

そしてやはり思考が極端だ。

 

同居してる家族にも隠していたから、

どこにも感情を吐き出せなくて苦しかった。

誰にも言えず胸に収めなければならない苦しさ。

ぶつける先が、自分しかいなかった。

 

自分のことをジャッジし過ぎて自分の首を絞めていた。

 

中絶の決断をした自分を否定した。

 

あの頃の私は自分で自分の味方を全然してあげられていなかった。

自分を卑下して、否定するのが得意だった。

 

小さい頃に母親に自尊心を壊されていたから、

それを修復しないままでは全てがどうにもならなかったのだけど。

 

あの頃あんなに苦しんだのは、

他の誰がどう、ということではなくて

単純に自分が自分の味方じゃなくなったから、

敵になってしまったから、だったのだなと今は思う。

 

今なら、自分が自分の一番の味方でいたいと思う。

 

 

今だったら当時の自分になんて声をかけてあげるだろうか。

まず真っ先に「ありがとう」と言いたい。

 

 

ありがとう。

絶望しても、生きていてくれただけで、充分です。

 

あなたの苦しみや悲しみは、

今の私には尊い経験だったと思える。

順風満帆にいっていたら感じられなかったような痛みや辛さも、

経験した全てが尊いです。

 

その時は、ただただ辛いだけかも知れないけど、

人生にはそれだけじゃなくて、楽しいも、幸せも、

色んなことが詰まってるよ。

嬉しい感情もいっぱい感じることになるから、

心配しないで。

 

今は辛くて苦しくて悔しくて悲しくても、

それを存分に感じていていい。

それでなにも間違ってはいないよ。

 

 

これ書いていて気がついたけど、

私の人生、完璧だった。(笑)

 

 

 

 

 

 

私の人生の航海は、あの頃に始まったのかも知れない。

 

 

 

 

続きます。

 

 

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またねニコニコ