前回のブログでは...
中絶や人工死産で悩んでいる方々を
ぶった切るような
ゴリゴリのリベラルの主張を
ご紹介いたしました
そこで生じた疑問があります...
私が13トリソミー天使ママになった
経緯はコチラです
私は日本人です。
今更ですが
私は日本人です。
何のカミングアウト?
思想のベースは
多くの日本人と同じように
儒教・仏教・神道中心だと
思われます。
堕胎は
儒教においては
『家の継承のために
子どもを産む』
という義務の怠慢になるそうです。
仏教ですと
『殺生』になりますが
事情により
情状酌量されるそうです
神道では
...分かりませんが
大罪ではないみたいです。
アニミズムであり
生まれ変わりを信じているので
ちなみに
キリスト教保守派では
避妊も中絶も
認められておりません
何が言いたいのかと
申しますと...
日本には
西洋に比べて
中絶に対して
「女性の権利じゃ!」という
ゴリゴリのリベラルもいなければ
「絶対禁止!」と主張する
保守派もおりません。
大声で言えることではないけれど
絶対悪という土壌でも
ないかと思っております。
しかしながら...
とても罪悪感に
苦しめられた/苦しめられている
ということを感じています。
罪悪感を感じていたのではなく...
女性の権利として
保障されているわけでもなく
厳しく禁止もされていない...
いわば宙ぶらりんの状態で
自分で身の振り方を決めろ!
と言わんばかりの状態が
私を苦しめているのでしょうか...?
いっその事
法で罪にでも問われた方が
罪悪感が薄れたのでしょうか...
それとも
“罪悪感”というよりは
“恥”を感じていたのでしょうか?
ふと、そんなことが
思い浮かびました。
西洋文化が
『罪の文化』と
言われるのに対して
ベネディクト・ルース先生が
「菊と刀」で
日本は”恥の文化”
と言及したように
健康な赤ちゃんを
産めなかったという
“恥”を感じていたのでしょうか...?
赤ちゃんの命を絶ったという
罪の意識よりも...
そう考えると...
「何かに、ずーっと苦しめてられていた」ことに、とても納得がいきます。
私を苦しめていたものは
罪悪感ではなくて
“恥”の気持ち
✓他の人と同じように
元気な赤ちゃんが
産めなかったことへの恥
✓中絶を選択したことへの
後ろめたい気持ちに
対する恥...など
罪悪感の正体が分かって
少し拍子抜けしたのと
同時に
自分が赤ちゃんのことよりも
自分の体裁ばかり
気にしていた...
ということに気づき
やっぱり
恥ずかしい気持ちになりました...
皆さまの中には
罪悪感があるのでしょうか?
それとも
恥があるのでしょうか?
モヤモヤの正体が何か
分かるだけでも
気分が軽くなるかと
思っております。
本日も最後まで
お読み頂きありがとうございました
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