人生が自分に何を求めているのか?

 

 

これは有名な

ヴィクトール・フランクル博士の

言葉です。

 

 

 

 

 

 

 

私が13トリソミー天使ママになった

経緯はコチラです気づき

 

 

 

 

 

ヴィクトール・フランクル博士

 

 

ヴィクトール・フランクル博士は

有名すぎて

私が説明するまでも

ないのですが...

 

 

ナチスの強制収容所を

生き延びた心理学者です。

 

 

彼の代表作である

『夜と霧』は

とても有名ですね。

 

 

https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%9C%E3%81%A8%E9%9C%A7-%E6%96%B0%E7%89%88-%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB-%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AB/dp/4622039702

 

 

多くの方のバイブルとなり

心の拠り所に

なっているかと思います。

 

 

 

人生が自分に問うている。

 

 

フランクル博士の書籍に

お会いしたのは

20代のころでした女性トイレ

 

 

その時は

それなりに苦境におり

フランクル博士の名言に

励まされましたキラキラ

 

 

“そもそも我々が人生の意味を問うてはいけません。我々は人生に問われている立場であり、我々が人生の答えを出さなければならないのです。”

『夜と霧』より

 

 

 

若かったこともあり

超響く言葉ー!

と思いつつも

 

 

「何のために生きるのか?」という

 

 

人生から何かを

与えてもらうような

受け身的な思考ではなく

 

 

能動的に

人生をより良くしようグッ

エイエイオー!

 

 

こんな軽ーい程度にしか

思っておりませんでした汗うさぎ

 

 

若気の至りですねアセアセ

 

 

 

 

 

 

 

 

“問う”ことが大事

 

 

しかし

今この言葉を見ると

 

 

問い続けることに

意義があるのだと思いましたひらめき電球

 

 

問わなければ

脳は答えを探しません脳みそサーチ

 

 

“問う”というアクションを挟むことで

“答え”というものが

世の中に存在できます。

 

 

光と陰みたいな関係ですね。

 

 

“問い”がなければ

“答え”も存在し得ない。

 

 

 

 

 

 

私は

13トリソミーの赤ちゃんを

授かったことの意義や答えを

ひたすら探していました。

 

 

例えば... 

運命なの?

超越的な何か?

カルマ?

親の負の遺産...?

 

 

そんな風に

私を不幸にした

犯人捜しですねサーチ

 

 

これらは

他人のせいにしています...

 

 

そして

過去に焦点が

当たっていますサーチ

 

 

なので

いつまで経っても

苦しかったのだと思いますもやもや

 

 

しかし

“意義”や”答え”に

焦点を当てるのではなく

 

 

『だったら、どうするのか?』

『この経験を生かして、何が出来るのか?』

 

 

こんな風に

能動的に・主体的に

“運命”とやらに乗り込んでいき

 

 

他責前提ではなく

これからの未来を

いかにより良くするか?

 

 

という未来志向にしていくことが

大切なのではないのか?

 

 

今はそう思っております。

 

 

 

 

 

流産・死産などをされた場合は

授かったことの意味を

問うこと自体が

辛いかもしれません...

 

 

でも

「なんでこんな試練を?」と

人生に問うのではなく

 

 

逆に

自分で自分の答えを探す為に

未来側に乗り込んでいく

必要があるのではないかと...

 

 

そう思えた時

絶望に光が差してくるのだと

信じております。

 

 

 

 

 

本日も最後まで

お読み頂きありがとうございましたキラキラ

 

 

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