人生が自分に何を求めているのか?
これは有名な
ヴィクトール・フランクル博士の
言葉です。
私が13トリソミー天使ママになった
経緯はコチラです
ヴィクトール・フランクル博士
ヴィクトール・フランクル博士は
有名すぎて
私が説明するまでも
ないのですが...
ナチスの強制収容所を
生き延びた心理学者です。
彼の代表作である
『夜と霧』は
とても有名ですね。
多くの方のバイブルとなり
心の拠り所に
なっているかと思います。
人生が自分に問うている。
フランクル博士の書籍に
お会いしたのは
20代のころでした
その時は
それなりに苦境におり
フランクル博士の名言に
励まされました
“そもそも我々が人生の意味を問うてはいけません。我々は人生に問われている立場であり、我々が人生の答えを出さなければならないのです。”
『夜と霧』より
若かったこともあり
超響く言葉ー!
と思いつつも
「何のために生きるのか?」という
人生から何かを
与えてもらうような
受け身的な思考ではなく
能動的に
人生をより良くしよう!
エイエイオー!
こんな軽ーい程度にしか
思っておりませんでした
若気の至りですね
“問う”ことが大事
しかし
今この言葉を見ると
問い続けることに
意義があるのだと思いました
問わなければ
脳は答えを探しません
“問う”というアクションを挟むことで
“答え”というものが
世の中に存在できます。
光と陰みたいな関係ですね。
“問い”がなければ
“答え”も存在し得ない。
私は
13トリソミーの赤ちゃんを
授かったことの意義や答えを
ひたすら探していました。
例えば...
運命なの?
超越的な何か?
カルマ?
親の負の遺産...?
そんな風に
私を不幸にした
犯人捜しですね
これらは
他人のせいにしています...
そして
過去に焦点が
当たっています
なので
いつまで経っても
苦しかったのだと思います
しかし
“意義”や”答え”に
焦点を当てるのではなく
『だったら、どうするのか?』
『この経験を生かして、何が出来るのか?』
こんな風に
能動的に・主体的に
“運命”とやらに乗り込んでいき
他責前提ではなく
これからの未来を
いかにより良くするか?
という未来志向にしていくことが
大切なのではないのか?
今はそう思っております。
流産・死産などをされた場合は
授かったことの意味を
問うこと自体が
辛いかもしれません...
でも
「なんでこんな試練を?」と
人生に問うのではなく
逆に
自分で自分の答えを探す為に
未来側に乗り込んでいく
必要があるのではないかと...
そう思えた時
絶望に光が差してくるのだと
信じております。
本日も最後まで
お読み頂きありがとうございました
ブログで書ききれなかった部分をLINEで配信中です
ブログだと
どうしても書けずに
残ってしまう部分を
LINEにて
無料で配信しております
宜しければ
ご活用ください
↓簡単無料登録で受け取れます
↓