東洋医学では
「病は自己表現」
と言われます
不妊症は厳密に言えば
病気ではありませんが
“子どもを授からない”ことは
一種の自己表現なのではないか
という仮説を書いてみました
わたしが
13トリソミー天使ママになった
経緯はコチラになります
私が
不妊治療していた時は
不妊治療は
苦しい顔をして、痛みに耐え
頑張らなきゃいけない
そんなイメージをもち
取り組んでいました
ですので
「不妊治療を楽しんでいる」と聞くと
少しイラッとしてしまいました
当たり前ですが
不妊治療のクリニックに
ディズニーランドにいくような気分では
行きません
でも、どちらも
“夢”という言葉が共通しています
ディズニーランドは“夢の国”
そして
不妊治療クリニックも
“妊娠・出産という夢を叶える場所”です
それなのに
随分テンションに開きがあります...
陽性反応がでても
周囲に配慮し
厳かに行くと思います
不妊治療は
楽しんだらいけないのでしょうか...?
私が楽しめなかった背後には
「常に真剣に臨み、必ず成果を出さなくてはいけない」
という暗黙のルールが
あったような気がしました
それがプレッシャーとなり
ストレスを生み、治療の成績が悪くなる
特に、私は13トリソミーの件があったので
人よりも
「楽しんではいけない」
という気持ちが強かったと思います
でも
「全ての場面において、楽しんではいけない」
ということはないはずです
たとえば、採卵期は
ホルモンバランスもあり
ルンルンな気分になる時も
あると思います
しかし
回数を重ねるごとに
辛い気分になってくる...
それは
「子供がいないことに対して、後ろめたさを感じるべきだ」
という思い込みが
あったような気がします
・夫に対して申し訳ない気持ち
・両親に対して申し訳ない気持ち
でも
それは元を正せば
社会が
「女として生まれたら必ず母になる」
という共通の幻想を、私に与え
私は
それに迎合する形で
応えていたからだと思います
だから私は
子どもが授からないことに対して
なんとなく後ろめたい気持ちがあり
子供が授からないという罪を悔い改めるために...
社会的責任が果たせていない罪を悔い改めるために...
苦しみながら不妊治療をしています
と世間に対しアピールしていた
いわば自己表現だったのではないか
と思うのです
そして、それは
人工死産を選択したこととセットで
「命を終わらせましたが、このように不妊治療に苦しみ、自分を罰しています」
とアピールしていたようにも思います
東洋医学では
「病は自己表現だ」と言われます
病の状態は
マインドの状態(心理的な状態)を
表しています
そう考えると
「私は罪を償う為に、自分を罰し
子供を授からない状態にしていた」
とも言えます
でも、あるとき
「もう罰しなくていいよ」と思えた
それは断食旅に行って
占い師にはっきりと
本心を言ってもらったからです
断食旅の出来事はコチラになります
だから
不妊治療によって
自分を罰しているのではないか?
と心当たりがあれば
「自分は何を許していないのか?」
と考えてみてください
そして
「どうしたら許してもらえるのか?」
自分に聞いてみて下さい
すぐに答えは出ないと思いますが、
脳は空白を嫌います
質問をして
答えられないと落ち着かないので
一生懸命に答えを探そうとします
たとえば
テレビに俳優さんが出ていて
名前が思い出せないとします
あ、あの○○だっけ...?
いや違う...△△?
あー分からない、気持ち悪い...
とずっと考えていたことは
ありませんか?
そしてふとした瞬間に
あっ!●●さんだ!
と思い出す
その感覚です
ですので
とりあえず質問してみることが
まずは大事です
宜しければ
お試しくださいね
本日も
最後までお読みいただき
ありがとうございました




13トリソミー天使ママが
次への妊娠へ向けて
マインドの使い方をお伝えします


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