こう思う時、社会適合性がないなぁ、と思う。良い意味でも悪い意味でも。
俺は若い頃から正しいと思った事はなんでも口にしてきた。
だからいろんなところで働いてきたけど出世する会社はすぐ出世するしクビになる会社はすぐにクビになった。
ある人から見れば俺はふらつきで中途半端でいいかげんな男に見えるんだそうだ。
しかし
ある人から見れば自由で仕事ができて人づきあいが上手くて優しい人でいつも夢を追いかけてるそうだ。
でも
俺自身はどちらもそうとは思わない。
『やりたい事をやりたいだけだ』
例えば、
熊男『この会社面白くねぇなぁ、もっとこうだったら良いのに』
本男『まぁまぁ、そんな会社あったら理想的だけどめったにないよ』
と、いう会話があったとしたらその『理想的』を『現実』に変えたいだけの話。
口にだすだけじゃなくてどうやったらそうなるのか、動いて確かめているだけの話。
今だから話せるけど俺が以前働いてた眼鏡屋。
俺は店長でした。
社員がある日
『休憩いきまーす、2時間くらい(笑)』
俺 『いってらっしゃーい』
社員『えっ!いいんっすか?2時間も』
俺『忙しくなったら電話するけん携帯もっていってて~』
という会話。
俺には休憩1時間という事に疑問があった。
暇なら休んでいいんじゃないの?って。
雇った側は勤務時間内はしっかり働かせたいのはわかる。けど
暇な店に店員2人いたほうがお客様は入ってこない。
それなら1人のほうがよっぽど売れる可能性が高い。
じゃあ、社員は休憩させといてお客様が多くなってきた時に全力で対応してくれたほうが販売確率は上がる、休
んでたので良い笑顔もできるだろう、
余裕ある待遇もできるだろう、との考え方。
やる事ないのに店内でブラブラされても困るしお客様も入ってきにくい。
だから休憩1時間という概念を取り払って、社員はゆっくり休める、お客様は入ってきやすくなる、販売確率も上
がる、忙しくなってもしっかり対応できる、という良い点のほうが多い。
ここで働きたくない店長は社員に仕事をおしつけ自分はあたかも仕事をやっているようなそぶりで休んでる事が
多い。職権乱用ですね。
本当に忙しい店長もたくさんいらっしゃいますが。
このいつのまにか決まっていて誰が決めたかわからないルール。
それに流されていて間違いじゃないかどうか考えてしまう。
もっと簡単にシンプルにやれる事はたくさんあると思う。
みんな悪い事ばっかり覚えてる。
俺は今まで自由になんでもやってきたけど、そんな俺は運命に翻弄され
何をやるにしても壁が立ちはだかる。
金、時間、タイミング、足りない物ばかりだ。
やろう!と思ったらまずその壁を壊す事から考えなくてはならない。
そこで『壁があるなら辞めよう』と思った事は1度もない。
まずはできるかもしれんやん精神で挑む。
例えば、凄い美人さんがいて『仲良くなりたい!』と思っても
『俺なんかじゃ無理か、彼氏もいるだろうしね』と行動に移さずあきらめる、ような事は絶対しない。
まずは声かけて仲良くなれるチャンスがあるかどうかを確かめる。
動かないと確率はゼロだからだ。
ロト6でも、もし当たったら何に使う~?買ってなかったら確率ゼロ。
まずは買ってからこそ可能性は生まれるし確率も生まれる。
恋愛の付き合いが終わる時、理由は様々。
浮気、仕事、趣味、たくさんあると思う。その別れた時というのはどちらかが悲しみに打ち砕かれる。
しかし、
それは直面する嫌な事しか見えてないからだ。
別れたら自由が手に入る、とか、別れるんだけどこれまでの間、その彼女、彼氏としか感じれない幸せな時間が
いっぱいあったはず。
付き合ってなければその幸せはなかったはず。
別れる事にはなったけど、良い思い出は作れたはず。
始まりがあれば絶対終わりがくる、始まった瞬間から終わりに向かって歩きだす。
だから『終わり』は当然の事でその悲しみにくれるより良い思い出ができた事に感謝したほうが楽だ。
人間なんて生まれた瞬間から死に向かい始める。
と、いう偏屈な考え方が今の俺を作った。
なければ作れば良い。
やりたい事
今、模索中
動かなければ見つからない
ただ、誰が作ったかわからないような、意味があるようで無いようなルールには縛られたくない。
会社が破たんしたら自分の人生も破たんするような他人任せな人生は嫌だ。
自分の努力とアンテナ次第で自分の人生を変えれるような時間を過ごした
い。
そしたら苦労を苦労に感じらずにすむもんね。
苦労なんてその人の感じ方次第やもんね。
やりたい事をやりたいだけだ。そこに苦労な無い。