「因果応報」という仏教用語がある。
人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるという意味である。
行為の善悪に応じて、その報いがあるということで、現在では悪いほうに用いられることが多い。
「因」は因縁の意で原因のこと、「果」は果報の意で原因によって生じた結果や報いのことである。
病気=悪い報いと解釈すれば、前世で自分はどんな悪い行いをしてきたのだろうと思う。
そんなことを考えると、病気になる人がすべて前世での行いが悪かったということになる。
行いが悪いとは、どの程度のことなのだろう。
おやじが狭心症を患ったのは、若いときからタバコを吸っていたからなのか。
タバコが悪の「因」で、狭心症が「果」なのか?
それが、「因果応報」ということなのだろうか?
タバコを吸わなければ狭心症にはならなかったのか?
世の中には、おやじよりタバコを吸っているおやじがたくさんいるのに、すべての喫煙者が狭心症になるわけではない。
狭心症ならずとも、ほかの病気を患う人もたくさんいる。
それもみな、それぞれの「因果応報」なのだろうか。
タバコを全く吸わない人でも、肺がんになる人もいる。
そう考えると、「因果応報」ということは本当にあるのだろうか、と首をかしげたくなる。
「因果応報」というよりは、あらかじめ決められていた「運命」といったほうがしっくりくるような気がする。
いずれにしても、考えても正解は出てこない・・・
それじゃ、明日もみなさんにとって良い日になりますように
Good Day