
古代中国に東夷族と呼ばれる人々がいました。
彼らは日本海、東シナ海周辺に共通の文化圏を構築した海洋交易民であり、
後期旧石器時代に日本列島で発展した石器加工技術、優れた航海技術を背景に交易ネットワークを大陸沿岸部へと拡大させていきます。
前漢末期、王莽が政権を掌握していた一世紀初頭、東夷王は海を渡って漢を訪れました。
東夷族は中国東北地方、東シナ海沿岸部に広く分布していましたが、その“王”は海の向こう(私たち日本人から見たらこちら側)にいたのです。
中国の史書はっきりと記しています❗
中国には海を渡って行く航海技術は存在しない、
(航海技術のある倭人が)海を渡って来て中国沿岸部で交易をしていく。
彼らの特産品は“布”である、と。
殷(商)王朝の時代、
中国では産出しない
硬玉(ヒスイ)は珍重され、
やはり中国(東シナ海)沿岸部では採集できない宝貝が通貨として使用されたと考えられています。
中国に玉製品や宝貝を供給すると共に、倭人(東夷)は中国沿岸部、中国東北部に進出していました。
およそ2万年前頃から日本列島には大規模な石器の加工施設が現れています。
火山列島であり石器材料の豊富な日本列島から、石材乏しい中国沿岸部へと加工された石器が大量に輸出されていきました。
東シナ海沿岸部の東夷族は夏王朝を興し、後裔は越【えつ、こし】と呼ばれ、越南【ヴィエトナム】を拠点に南シナ海~インド洋へと海洋交易ルートを広げていきます。
南インドのタミル・ナードゥ州のカーンチープラムは、漢字で黄支、香至【こうし】と書きますが、漢書王莽伝には倭、越に加え黄支からも使者が来たと記しています。
倭人、越人と黄支の使者が中国を訪れたことを王莽は瑞兆であるとアピールしたかったようですが、
倭人と越人、黄支は関連性が強く(中国にはない)海洋交易ネットワークを共有した族であるという認識があったようです。
倭人、越人、タミル人の海洋交易ネットワークはインド洋を経てローマへと繋がっていました。
越【こし】、黄支【こうし】は、日本の北陸地方の湊まで入港していましたが、彼らが交易の目当てとしていたのは糸魚川産の翡翠や長野県の黒曜石でした。
倭、越、黄支は共同で朝鮮半島南部に産鉄拠点を築き中国などへの輸出で利益を上げています。
※半島南部の倭人国家であった金官加羅にインドのサータヴァーハナ朝から王女が嫁いだのはこうした理由による。
ローマへと輸出された東洋のシルク(漢は絹を門外不出としていた)は、奄美琉球産であるという説が出ていますが、蚕と桑の野生原種が奄美琉球地方がルーツであるという研究も報告され南九州を拠点としたウガヤフキアエズ朝がシルク貿易で莫大な利益を上げていたとする説が現実味を帯びてきました。
フェニキア人と縄文人が共に利用していた東南アジア原産の貝紫も、同じ海洋交易ネットワークで流通していたのです。
日本語タミル語起源説、
日ユ同祖論(一説にユダヤ人はフェニキア人の後裔であるとされる)を唱える人もいますが…
縄文時代から海洋交易ネットワークで繋がっていたのだから何も不思議な話しではないのです。
秦の始皇帝(嬴姓趙氏)
徐福(嬴姓徐氏=徐夷)
は、共に東夷族が出自であり、
始皇帝が祖先の地である日本列島に遠い親戚(分家したのは始皇帝の時代を約二千年遡る❗)の徐福を派遣したのも辻褄が合う話なのです。
始皇帝は徹底した焚書を行ったのですが、
秦王家と同じ嬴姓を持つ徐氏が徐夷、つまり東夷族であると史書は記すのだから、秦王家のルーツも東夷であり縄文人であることはバレバレなのです。
同時に史書は東シナ海沿岸部の諸夷を諸夏と記し、夏の後裔を越としていますから、夏王朝を興したのは東夷=縄文人であることを明白にしています。
中国の歴代史家は大きな声では言っていませんが、わかる人にはわかるように堂々と書いています。
一方、中国東北部に進出した東夷族が興したのは殷(商)王朝で、こちらも殷の一族である萊族(子姓)は萊夷として史書に登場しており、殷の王族も東夷であることを暗に示しています。
周王室は姫姓ですが、倭国の異名が東海姫氏国とされるように、周王室も倭人と同族であることが示唆されています。
中国の研究者は
炎帝の子孫が日本の天皇家であると指摘していますが、
つまり炎帝=炎尊(彦火火出見)だと認めているのです。
そして黄帝の子であるとされる小昊金天氏が東海に君臨する諸東夷の王(ウガヤフキアエズ)ですから…
わかりやすくまとめていうと、
炎帝神農氏(BC3000頃)~秦(嬴姓趙氏、BC200頃)までの中国王朝は大陸に進出した縄文人の王朝ということになります❗
諸夏東夷は漢代以降、漢民族に同化していきます(とはいえ六朝時代を担ったのは諸夏東夷の豪族で現代も客家として繁栄しています)が、
東北部の遼河文明~殷王朝を担った東夷、東胡といった東族はモンゴル(鮮卑、柔然、契丹、蒙古)、ツングース(粛慎、靺鞨、女真、満州)、扶余朝鮮(扶余、高句麗、新羅、加羅、百済、勃海)と分化していき、
北魏、北周、北斉、隋、唐、遼、金、元、清は東夷族の王朝です。
中国を統一した歴代王朝のうち漢民族が興したのは漢代と明代しかない❗と云われますが、
炎帝、小昊、夏、殷、周、秦、隋、唐、元、清は縄文人の末裔である東夷族の王朝なのです。
宋はテュルク系突厥の王朝ですが、テュルク系民族のトルコなどが今も日本人と兄弟と唱えるように、
テュルク系民族もまた縄文人の末裔です。
テュルク系といえば匈奴=フン。
ヨーロッパの王族は大抵、フン族の王アッティラの血を引いているとされますが、
陰謀論者に人気のハザールもテュルク系❗
そもそも縄文人がメーソン(石工)であるというのは周知の事実です。
世界で“名家”とされる家系が、元を辿ると縄文に行き着くというのは偶然ではありません。
中国最後の皇帝は溥儀ではなく中華帝国の袁世凱ですが、彼は三国時代の袁紹の末裔であり袁氏は4000年以上の歴史を誇る名門です。
縄文の末裔というのは世界中にいて、それは日本の天皇家だけではないのです。
世界で“名門”とされる家系は多くが縄文の叡知を伝承しています。
夏休み期間中も道の駅いっぷく処横川にてお待ちしています( `・∀・´)ノ ィヨロシクー