
ウクライナ戦争の原因の一つとされ、
陰謀論界隈の主役として悪名高いハザール
日本ではその歴史は殆ど知られていないが、
歴史から現在を知り未来を予測するためにハザール史の知識は重要である。
ハザール可汗国(628~969)
中世において非常に強い影響力を持った国家を形成し、
黒海、ハザール海(カスピ海)とコーカサス、草原に君臨した。
テングリズム、
ユダヤ教、
イスラーム、
キリスト教に属する多様な集団を内包し、
ハザール可汗は祭祀王として君臨。
精強な軍隊と
交易ネットワークを駆使し、
一時は
ビザンツ帝国、唐と並び
世界の三大国家の一つとなった。
その複雑な歴史は、現代も東欧、中東社会に影響を及ぼし、ロシア、ウクライナは今まさに、ハザールの地を巡って激しく対立している。
(๑•̀ㅁ•́ฅ✧
それでは、これまで日本人が誰も書かなかった
知られざるハザールの歴史の闇に迫っていきます🔱( °᷄▽°᷅ )🔱

ハザール(Xazar、Khazar、Qazar)
の語源として
farsiファルシ(ペルシャ)、
Cesare、Kaiser(カエサル)、
「抑圧する」というテュルク語の動詞、
に由来するといった諸説がある。
ハザール可汗の最初の信仰であり、アルタイ諸語の遊牧民に広まったテングリと呼ばれるシャーマニズムは、
日本の神道に通じるものがあり、
その起源は、シュメル語の ディンギル(「空」) 、
古ノルド語の トール( Þōrr、北欧神話の雷神)、
中国語 で「空」を意味する天
に通じているという。
メソポタミアの記録にそれらしい部族が記録されている。
スバルトゥ、スビル(アッカド語Šubartum、シュメル語 Su-bir )は、
古代メソポタミアのアッカドから見て北に位置する蛮族。
シュメルでは、
「天幕に暮らし、神々の場所を知らず、動物の如くつがい、神への奉納を知らない」とされ、
都市に拠らずテントを建て移動する遊牧民が想定される。
ウルの王シュルギ(BC2094~2046)の碑文に、北方の恐るべき国として記録された。
スバルトゥはフルリ人の影響下にあったとされ、
ヒッタイトとの条約で言及された神の名Unag-astuasは、
アルメニアで今日も神の名であるAstvats(古典アルメニア語:Astuas)に関連し、
シュメルのネルガルと同一視されるアストゥバヌ(フルリ人の信仰では軍神アシュタビ)由来の可能性もあるという。
また、歴史家の一部はスバルトゥはチグリス川のアッシリア(Assyria)の初期の名前としている。
アゼルバイジャンの言語学者ガザンファル・カジモフは、
紀元後にフン族と共にアルバニアに戻った(ハザール可汗国の母体となった民族の一つ)サヴァールsavarların
が
BC3千年紀にシュメール人の 北、ザグロス地方に住んでいたスビル族の一部であることは疑いようがなく、
フン族は 3000 年前にシュメル人の近くにいたスビル族と同じルーツに由来という。
Savirs(サヴィル)、Suvars(セイバーズ、スヴァール)と呼ばれる民族は2~6世紀にカスピ海沿岸にいた遊牧民で、
サヴィル人の一部はダゲスタンに居住し、
「アルメニアのヘロドトス」と呼ばれるモブセス・ホレナツィ(410~490)は、彼らをカスピ海のフン族と呼んでいる。
557年にアヴァールの攻撃を受け、
一部はアヴァール人と混ざりながらトランスコーカサスに移住し、アゼルバイジャン人の祖先の一つとなった。
※558年に西進を開始してローマ人に認識されるようになり、
568年にはハンガリー平原を制圧し突如として大帝国を築いたアヴァールは、
考古学的にも
支配層が北東アジア由来である蓋然性が高まっている。
最初にアヴァール=柔然説を唱えたのはフランスの東洋史学者ジョセフ・ド・ギー二ュ(1721~1800、彼はフン=匈奴説の提唱者であり、漢字はエジプトのヒエログリフ起源と唱えた)。
アヴァール=柔然(鳥丸)
フン=匈奴
クマン、カイ(オスマン王家の出身部族)=庫莫奚=韃靼
といった(チンギスハンのみならず)東洋の遊牧民が度々、西洋に侵略したとする説は、遺伝的にアヴァール支配層の東アジア由来が確認された事実に伴い(欧州の歴史学界において)近年急速に支持が高まってきた。
突厥の攻撃による柔然可汗国の崩壊は555年。
アヴァールの侵入を受けたサヴィル人の一部は北に撤退して突厥の支配を受け入れた者もいた。
7世紀には大半のサヴィル人はブルガール、ハザールに吸収され同化していくが、
ダゲスタンに残ったサヴィル人はフン族の王国 (サヴィル)を立て、
ハザール可汗国の影響下にありながらも10世紀まで独立を保ったという。
ビザンツ皇帝コンスタンティヌス7世は
“De administrando Imperio “『帝国の統治について』で、
Tourkoi (マジャールのビザンチン呼称) は、以前はSabartoi asphaloi (「信頼できるセイバー」) として知られていたと述べている。
ハンガリーの言語学者ヤノス・ハルマッタは、
szabarsはサカ、スキタイ出身だとしている。
また、
サウロマタイSauromataをサヴィルSzabars と関連付け、その隣人であるMateroiをマジャル人と関連する部族とする説もあるが、
サヴィル人の一部がマジャル人(ハンガリー人)になったと考える研究者も多い。
マジャル七部族と
カヴァール(ハザールの分家)三部族によってハンガリーは建国され、
アルパード家はアッティラの子孫であり、阿史那氏と姻戚関係を結んでいたという。
また、現代のロシアのチュバシ族の名は、suvarに由来するとされ、サヴィル人の末裔とされる。
ハンガリーの言語学者ジュラ・メネスは
Säbir/Sabïr/Sabar/Säβir/Sävir/Savar/Sävär/Sawār/Säwēr のトルコ語の語源を語根 * sap- 「道に迷う」
=遊牧民だという。
アラブのヘロトドスと呼ばれる歴史家アル・マスディ(896~956)は、
ペルシア語のハザール
テュルク語のサヴィール
は同源だとする。
また、
サヴィールSavirsから
シベリアSiberiaの名前が発生した可能性を指摘する研究者もいる。
🤔
スビル、サビル、サウロマタイの名でコーカサス、黒海、ハザール海、草原に現れた民族は共通した集団であり、
現代も中東から東欧にかけて、その後裔が存在する。
19世紀以降、
シュメル、アッシリア、セイバー(サヴィル)、スキタイ、フン(=匈奴)の後裔として
ウラル・アルタイ語を話す遊牧民トゥーラーンの結集が提唱され、
第一次世界大戦、第二次世界大戦をハンガリー、ブルガリアはトゥーラニズムを掲げて戦い二度も敗戦国となった。
(๑•̀ㅁ•́ฅ✧
スキタイ、フン(匈奴)、突厥といった遊牧民は、
コーカソイドの印欧語族から
モンゴロイドのアルタイ語族まで多様な集団がいたが、
ユーラシアステップを駆け抜け、
黒海とカスピ海の間からコーカサス山脈を越え、シュメルの時代から存在が確認されていた。
シュメル語もアルタイ諸語同様の膠着語であり、
黒髪のシュメル人も、最初はステップを通って来た東方のモンゴロイド(縄文人🤣⁉️)だった可能性がある。
ウラル・アルタイ語族は(その危険性から)歴史上何度も否定されてきたが、
上述の通り、近年では
東欧のフンやアヴァールの遺跡から出た支配層の遺骨が、ゲノム解析により東アジア人の可能性が高まり、
フン=匈奴
アヴァール=柔然or鳥丸説も、ヨーロッパを中心に確実視されるようになっている。
考古学的に印欧語族も月氏やサカなど中国付近に進出していることが確かめられ、遊牧民の広域な活動、広範な交易ネットワークの存在が明らかになってきた。
新たにトランスユーラシア語族が提唱され、
その原郷が遼河付近
(遼河は東胡、庫莫奚の故地)
で、
日本語と弥生人の起源を遼河とする最新の学説は
トゥーラニアン(ウラル・アルタイ語族同源)学説の焼き直しに過ぎないが、
最新の遺伝子学、考古学に基づいた仮説である。
トゥーラニズムでは、
テュルク系民族の汎トルコ主義を
ウラル・アルタイ語を話す全ての民族(テュルク系に加え、フィン、マジャル、モンゴル、満州、朝鮮、日本人、シベリアの諸民族を含む)に拡大し、
「全てのトゥーラーニアンは兄弟であり、協力しなければならない」とした。
現代でも
ハンガリー、トルコ、キルギス、カザフなどで
「日本人と兄弟」
という発言が見られるが、
彼らが信じているトゥーラーンの歴史に起因する。
トゥーラニアンに
モンゴル、満州(東胡)
日本、朝鮮(東夷)
は含むが、
中国(漢)は含まない
この点は重要(๑•̀ㅁ•́ฅ✧
第一次世界大戦では、
オーストリア・ハンガリー帝国とオスマン・トルコ帝国は、
トルコ人とハンガリー人を団結させ、スラヴ人と汎スラヴ主義がもたらす危険に対抗する手段として、トゥーラニズムを奨励した。
トゥーラニズムは、重要なトルコ-オーストリア-ハンガリーおよびブルガリア-オーストリア-ハンガリーの軍事および戦略的同盟の創設に繋がる。
これらの同盟は、北ユーラシア全域にトゥーラーンの帝国を拡大する目的によって第一次世界大戦を戦い、敗北した。
ハンガリーでは、第一次世界大戦の敗北後、より強い民族意識の高まりが見られ、トゥーラニズムは更に勢いを得た。
ハンガリーは、
1923 年にトルコ共和国と 、
1937 年にエストニア共和国と、
1937 年にフィンランド共和国と、
1938 年に日本と 、ブルガリアと友好協力条約に調印した。
ハンガリー人(マジャル人)には
東と西を仲介し、統合する力があると信じられ、
トゥーラニズムは
日本とドイツの同盟にも影響を及ぼした。
オーストリア・ハンガリー帝国の崩壊後に成立したハンガリー王国では、
ホルティ・ミクローシュが摂政となり、国王は空位のままであったため、
日本の皇族をハンガリー国王に迎えようとする動きさえあった。
日本にもツラン協会の支部が置かれ
ハンガリーの民俗学者バラートシ・バログ・ベネデクはアイヌ研究のために来日する一方、日本でのトゥーラニズムの普及を訴えている。
トゥーラニズムを掲げたハンガリー、ブルガリアが第一次世界大戦に続いて、第二次世界大戦でもドイツ、日本と共に敗戦国になったのは周知の通り。
二度の世界大戦と
トゥーラニズムが深く関係しているのは事実であり、
二度の対戦で激しく戦ったのは
ハザール可汗国の影響が及んだ地域の国々であったのは、
紛れもない事実である。
平和主義(❓)の研究者は
ウラル・アルタイ語族や
ハザール=アシュケナジム
を懸命に否定するが、
ウラル・アルタイ(トゥーラーン)、
ハザール
が歴史に与えた影響、
今もまた
ウクライナの戦況、
第三次世界大戦の行方に
トゥーラーン、ハザールの歴史が
大きく関係している事実は
否定しようがない。
(๑•̀ㅁ•́ฅ✧

ヘブライ語聖書のアシュケナズはノアの子ヤペテの孫、ゴメルの長男、リファトとトガルマの兄弟。
アシュケナズの名前は、ユーフラテス川上流地域のアルメニア高地からキンメリア人( Gimirrāi )を追放したスキタイ人のアッシリア人Aškūza ( Aškuzai 、Iškuzai )に関連しているとされる。
10世紀モロッコ出身カライ派の賢者デビッド・ビン・アブラハム・アル・ファシは、アシュケナズを ハザール の祖先と特定。
ハザール可汗ヨセフ・ビン・アーロンは960年の書簡でハザールはヤペテの孫 トガルマ (アシュケナズの兄弟)の子孫であると明言。
カインの末裔 トバルカイン や、ヤペテ、アシュケナズは スキタイ 、フン 、ヒッタイト との関連が古くから指摘されてきた。
アシュケナズ由来とも云われる北欧神話の
アース神Ás, Áss
複数形Æsirエーシル
(ゲルマン祖語ではansuz)、
女性形ásynja
ハザール可汗はAnsāの子孫に属すとされている。
アース神族の雷神がトールであり、
トゥーラーン(アルタイ諸語を話すスキタイ)の語源となった。
印欧語を話すスキタイはイーラーン(アーリア人)で、
イーラーンはトゥーラーン(中央アジア)より出づる、とされた。
Ansāはansuz、ásynjaとの関連から、
阿史那氏(突厥可汗家)=アシュケナズと同定する研究者が欧州に多い。
Ássは
アジアの語源とされるAssuwa(ヒッタイト語、アスワ州の連合はBC1400頃ヒッタイトに反乱したが失敗した)
アッシリアAssyria、
(アッシリアの都市)Aššur(アッシュル、神の名でもある)
にも通じる。
白鳥庫吉は
阿史那氏は烏孫âswin
の後裔であるとした。
最初のハザール可汗は西突厥の統葉護可汗、
続いて甥の步利設の後、
乙毗射匮可汗(西突厥)。
840年、カバール を率いてハザール可汗に反乱を起こしたトゥヴァン・カガンがスカンジナビアの貴族と結婚し
ルーシ可汗 の父となったという。
ウクライナ出身の中世ウクライナ史学者オメリヤン・プリツァク(1919~2006)
は、
ハザール可汗国とキエフ大公国に関する詳細な研究で知られ、
Khan-Tuvan Dyggviという名前のハザール可汗が内戦に敗れ北欧に逃れ、スカンジナビアの貴族の娘と結婚し、
ルーシ可汗国の祖となったとしている。
ロシアの歴史科学博士であるアントン・アナトリエヴィチ・ゴルスキー(1959~)も、この説を支持している。

現代のウクライナの国章は、
ルーシ可汗国が歴史的に使用していたタムガであり、
ハザール可汗国起源であることが確定している。
つまり、
ウクライナの歴史家も
ロシアの歴史家も、
ウクライナとロシアのルーツが
ハザール可汗国にあると
明言しているのである(๑•̀ㅁ•́ฅ✧
※ルーシ可汗国は リューリク朝 キエフ・ルーシの前身で、のちのロシア、ウクライナ、ベラルーシに発展。
820年代、カバール三部族はハザールに反乱し失敗、一部はマジャル人七部族と合流してハンガリーに向い、
一部の Kabars が Rus とともにキエフに定住し、830年代にルーシ可汗国が成立。
その後、可汗号の使用は控えていたようだが、
キエフ公スヴャトスラフ一世は965年、ハザール可汗国を攻め、ハザールの弱体化に成功。
彼と、その子のウラジミール一世はハザールのトライデント🔱を使用し、この頃のキエフ大公も可汗の称号が使われていた記録が残っている。
ハザール分家のリューリク朝が本宗家のハザール可汗国を事実上崩壊させ(その後も小国に転落しながらハザールは11世紀まで細々と継続した)、ハザール後継を名乗ったと言える。
阿史那可汗家は分裂を繰り返し同族同士で争いを繰り広げながらも永らく繁栄を保ち、ヨーロッパの貴族カガン家、中国の史家など子孫は世界各地に残っているという。
🔱( °᷄▽°᷅ )🔱
まとめると、
トガルマの子孫とされのは、
ハザール、アヴァール、ブルガール、カバール、サビル、ウイグル、オノグル(ハンガリー)、ペェシネグ、オグズ、アラン、デュロ家(ブルガリア王家)など。
阿史那氏は
突厥、
ハザール、
カラハン朝、
ブルガリアのアセン朝
の王家であるとされ、
分家のカヴァールは
ルーシ可汗国、
ハンガリーの建国に関わった。
トガルマの父ゴメルの末裔(トゥーラーニアン)は中国からヨーロッパまで世界中に存在。
アシュケナズ=阿史那氏はステップ交易の覇者。
旧石器時代からヨーロッパと北海道を犬ぞりで疾走していた黒曜石&毛皮交易集団の末裔。
ステップロードは中東、欧州と韃靼、日本をずっと繋いできた。
東の草創期縄文文化と
西のナトゥーフ文化(コーカサスからレバント)
は、
ナトゥーフが土器を持たない以外は酷似した文化であり、
ナッツを採集し、石皿で粉に挽いたデンプンを主食とし、掘立柱の茅葺竪穴住居に住んだ。
やがてアルタイ祖語の膠着語を話すシュメル人がステップ~コーカサスを南下し、メソポタミアで最初の文明を築いた。

コーカサスに留まり黒曜石や金属の採集をしていたアルタイ語集団がスビルと呼ばれた(ここからアッシリアやヒッタイトが出た)。
のちにスビル(サヴィル、セイバー)は、スキタイと呼ばれ、アシュケナズと同一視されるようになった。
サヴィル(スキタイ)集団は
匈奴の支配層に率いられればフン、
柔然(鳥丸)の支配層に率いられればアヴァール、
突厥阿史那氏に率いられればハザール、カヴァールと呼ばれた。
ハザール可汗国の影響下で
ロシア
ウクライナ
ブルガリア
ハンガリー
に繋がる最初の国家が建設された。
この地域は、
第一次世界大戦
第二次世界大戦
そして、
第三次世界大戦の
発端となった。
(๑•̀ㅁ•́ฅ✧
また、
カザフ( Qazaqs、Kazakh)も、
ハザール(Qazar
Khazars)に由来するという。
カイラット・ザキリャノフは、日本人とカザフ人の 遺伝子プールは80%同一であると主張。
紀元前17世紀に中央アジアの遊牧民がアフリカ、小アジア、バビロンに侵入したとしている。
彼はまた、チンギス・ハーンとその子孫のおかげで、ヨーロッパは医学、占星術、代数などについて学んだ、と言い、
ヨーロッパに対するトゥーラニアンの優位性を主張する。
カザフ、キルギス、ハンガリー、トルコには、
現代もトゥーラー二ズムを主張する人々がおり、
西側に対し、
あくまで東側の立場に立っている。
ロシア対ウクライナは、
今のところ東側の内部の争いであり、
カザフ、キルギス、ハンガリー、トルコも、
侵略された側のウクライナに寄り添っているが、
ウクライナに西側諸国が介入し、
戦争が東側対西側の構図になってくれば、
話は別である。
ロシアによるウクライナへの侵攻は容認しないが、
西側によるトゥールの地への侵攻は、
トゥーラニアンの戦闘民族の血を呼び覚ますことになる。
メテハン(冒頓単于)の匈奴単于国
アッティラのフン
柔然可汗国とアヴァール可汗国
阿史那氏のギョクテュルク、ハザール可汗国、カラハン朝
耶律氏の遼、カラキタイ
チンギスハンのモンゴル
拠点を次々と移動しながら、瞬く間に世界帝国を作り上げたトゥーラニアンの祖先は、
コーカソイド、モンゴロイド、印欧語族、ウラル、テュルク、モンゴル、ツングースなど様々な諸族を短期間で纏め上げ、その圧倒的な武力と抜きん出た技術力、驚異的な結束によって世界を支配し強い影響を与えてきた。
今、その子孫であるトゥーラーンの人々は
現状に満足していないし、偉大な祖先に申し訳がないと考えている。
資本主義世界を支配しているとされるハザール・ユダヤ、
アシュケナジムは、
ハザールの身内から出た裏切り者でもある。
それが荒唐無稽な陰謀論であると言ったところで、
陰謀が彼らの身に迫っていると実感したなら、
流れる血はざわめくだろう。
我が国では、
中国やロシアが陰謀を企んでいると未だ信じられているが、
東側世界全体ではそうではないかもしれない。
石油・ガス分野のエコノミスト、ティラック・ドーシ氏は、フォーブスに寄せた自身の記事で、対ロシア制裁が発動されている状況の中で世界は制裁を支持する国と制裁に反対する2つのブロックに分割され、後者には一連の西側諸国とその同盟国を除く世界の大半の国が含まれているとの見方を示した。
“ウクライナ戦争は歴史の分岐点であり、世界は永遠に変わりました。
ユリウス・カエサルが紀元前 49 年にルビコン川を渡り「帰らぬ地点」を通過したとき、
彼は「賽は投げられた」(もう後戻りは出来ない)と言った。”





