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霍去病【かく きょへい】
BC140~BC117
前漢武帝時代の将軍で、匈奴征伐に多大な功績を上げ、驃騎将軍、大司馬を歴任。
母の衛少児の妹で叔母にあたる衛子夫は武帝の寵愛を受けBC128年に皇后となった。
この為、衛皇后の弟である衛青【えい せい】は匈奴の事情に通じていることもあり、匈奴征伐に際し車騎将軍に抜擢され、多大な功績を上げて大司馬大将軍となる。
衛皇后、衛青の甥である霍去病は若干18歳で衛青に従って匈奴征伐に従軍。
騎射に優れた霍去病は衛青に劣らぬ武功を治め、衛青と並ぶ大司馬となった。
去病という名は、病が去るという意味であったが、人気絶頂の青年将軍は僅か24歳で病死してしまう。
短期間の活躍で世を去った霍去病だが、彼の活躍が与えたインパクトは非常に大きいものであった。
霍去病の死後、異母弟の霍光が大司馬大将軍となり武帝、昭帝、昌邑王、宣帝と四代にわたって政治を任され前漢の黄金時代を築いた。
宣帝が霍光に政治を委ねる際の詔に“関白”の文言があり、これが日本の関白の由来となった。
霍去病が僅か24歳にして中国屈指の英雄となった理由は、
そもそも、衛青、霍去病登場以前の大東亜では…
漢は最強ではなかった❗
華夷秩序など、なかった❗
からです。
当時の大東亜最強は、
北では匈奴であり、
外交上、匈奴が兄で漢が弟
漢は毎年、金品を匈奴に贈っていたのです。
漢の皇帝の印は玉璽ですが、
匈奴単于にも漢は玉璽を贈っていました。
事実上、匈奴が上、漢が下だったのです。
のちに王莽が匈奴単于と
“海を渡ってやって来る”東夷王を
同格のように扱いました。
孔子は海の向こうの東夷に尊敬を抱いていました。
衛青、霍去病が登場するまで、
北方の騎馬民族、北狄
西域のオアシス遊牧民族、西戎
海の東から渡って来る(中国にはない優れた航海技術を持った)東夷
同じくインド洋航路を抑えていた越や黄支などの南蛮
彼らは漢民族にとって脅威であり、海外の優れた技術や文化を持つ強敵であり敬意を抱く存在でもあったのです。
海を渡ってやって来る東夷王、
つまり、倭人もまた、中国にはない優れた航海技術を持った海上の猛者であり、決して軽蔑出来るような存在ではありませんでした。
三國志や後漢書を見ても、陸続きの土地に住んでいる東夷はともかく、海を渡ってやって来る(中国にはない航海技術を持った)東夷=倭人に対する敬意を感じることが出来ます。
漢民族は常に
周辺異民族の脅威にさらされ、
その歴史の大半を、
東夷に支配されてきました❗
北魏、隋、唐は鮮卑(モンゴル系)
五代~宋は突厥(トルコ系)
遼は契丹(モンゴル系)
金は女真(満州系)
元は蒙古(モンゴル系)
清は満州
上古の伝説の帝王も東夷の出身とされています。
大東亜において、
漢民族を中心とした
華夷秩序など幻に過ぎません
東洋史を学んだ者であれば、わかりきっていることなのです。
中国と日本の関係は、昔から対等か、寧ろ古代は日本の方が上だったのです。
それを孔子は知っていたよ、ということを陳儔は三國志烏丸鮮卑東夷伝の序文にしっかりと書いているのです。
そのように、
周辺異民族に征服され続けてきた
漢民族だからこそ、
匈奴を散々に蹴散らし、西域に漢帝国の領土を拡張した
衛青
霍去病は、
漢民族最大の英雄❗なのです。
『エボニー 王の帰還』というゲームでは、世界各地のマニアックな将軍が登場します。
然し、本当はマニアックでも何でもないのです。
内戦で活躍した
項羽や呂布は、最強ではありません。
漢民族にとって、
世界と戦った
若き青年将軍、
霍去病こそ、
最強の将軍なのです。