横町通り復活へ!! 昭和のまま時間が止まった街「二俣」の今 | 縄文家族|天竜楽市

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天竜川流域に岩宿、縄文の昔から連綿と続く山暮らし。

大祖先から受け継いだ五万年持続する森と共生するサスティナブルライフを未来の子供たちへ伝えましょう‼️



古い商家が立ち並び明治・大正・昭和の面影を色濃く残す二俣横町通り

二俣諏訪神社祭典において、この情緒ある狭い通りを大屋台が疾走するシーンは重要な見所の一つ。


横町叉水連の歴史は百三十年を超えるが、横町としての歴史はより古く江戸時代に遡る。


かつての二俣川本流は車道を尾根伝いに湾曲して流れ、川口で天竜川に注いでいた。川の流れはおおきくS字を描いており、洪水被害が絶えなかった。

この為、天保年間(1781-1789)に遠江國豊田郡二俣村名主袴田甚右衛門嘉長による鳥羽山堀割工事で河道を変更している。

昭和初期には烏帽子山、浅間山の間を掘削し、光明から二俣への河道もストレートに変更された。


横町から車道へ二俣川を渡る轟橋は明治九年に初代の木造橋が完成した。
ところが、それ以前には橋がなく、大雨で川が増水すると秋葉詣での旅人達は横町で足止めとなったという。


そこで横町には宿がおかれ、秋葉詣でが盛んになってくると横町遊郭が出来たという。


横町にある地蔵様には宝永四年(1707)の文字が見える。
地蔵様の台座には複数女性の名が彫られており、横町遊郭で働いていた女性達の名ではないかと伝わる。


轟橋からかつての二俣川本流を眺める。未だ水量が豊富だった頃、この少し上流にお六淵という淵があり、お六という女性が入水したという伝説がある。

室町時代以前、二俣郷の中心となっていたのは笹岡城(古文献に出てくる二俣城)周辺であり、戦国~安土桃山時代は蜷原(城山)の二俣城を中心に(下諏訪)大明神周辺の二俣郷城下村=古町であった。

江戸期になると秋葉道の隆盛と共に古町の北に新町仲町横町が・・・笹岡の南に車道が発展した。


明治初期までは未だ吾妻町ではなく、横町から車道が二俣花柳界の中心であったのではないだろうか。

明治になると仲町に近代的な銀行、市場が置かれ二俣の中心となった。仲町とも隣接する横町は引き続き二俣の中心として栄え、明治二十二年二俣町成立以降しばらくは、仲町横町が二俣町議会の過半数を握り、町政を牛耳った。


そうした栄光は、叉水(ふたまたのみず)という二俣川の漢語表現である堂々とした連名に顕れている。
叉水連は明治十七年以前、二俣で四番目に成立した若連であり、

北の烏帽子山㡌山連
西の二俣城古城連
南の鳥羽山峉頁
東の二俣川叉水連


と、二俣の諏訪上下大明神の東西南北を守る御柱としての役割が与えられている。

諏訪大社御柱祭に倣い、この四連が二俣の御柱であり、荒ぶる大天龍の軍神諏訪大明神建御名方神」を封じ込める結界としている。

その叉水連は平成二十六年限りで諏訪神社連合神輿渡御の休止を表明している・・・

この問題は、二俣の何処にいても必ず話題となり、そして少子高齢化時代に向けて、遠州全体で千台を超えるという屋台の各自治会による維持を視野に入れれば、二俣以外の遠州住民にとっても大きな関心事となっているのはこれまでもお伝えしたとおりである。

一方、このところ静岡新聞においては、頻繁に「叉水」の文字が掲載されるようになった。


マルカワの蔵「叉水」は明治期に建造されたという酒店の建物を利用、数々の催しを行って注目を集めてきた。


二俣のお散歩地図



横町はこちら

昭和をテーマに懐かしい遊技機や駄菓子を集めた店頭は高齢者から子供達まで誰もが楽しめる。



全国に蔵の街はいくつかあるが、観光化され意外と中身は新しくリフォームされていたりする。
ここは、建物の中も昔のまま。そして誰でもそれらを間近に見学できる。


残していきたい竹細工など天竜区の伝統工芸なども展示されている。


天竜区、遠州を中心とした物産の販売も行っているが、これらは一般的な観光地にありがちな「みやげもの」として作られたのではなく、全て選りすぐりの逸品「本物」である。


味噌も蜂蜜もジャムも、吟味し丹精込められたもの。天龍の厳選された椎茸などは、東京のデパ地下に並んだら一体何倍の値札になるのだろう?


お茶は春野山奥秘境で無農薬栽培されたもの



二俣(里)の再生は山との連携強化が重要だ。



そして「二俣諏訪神社祭典DVD」も販売して頂いていますが、映像や画質は兎も角、内容は「ホンモノ」のお祭りを扱っております!!


そして、徐々に横町を訪れる人々が増えてくる中、このまま町がなくなってしまうのは寂しいと、マルカワの蔵のお隣「藤屋」醤油店が営業を再開!!



藤屋では、けっして高価ではないものの厳選された醤油だけを取り扱っている。
数年前に惜しまれながら閉店した仲町の人気鰻店に卸していた醤油である。

二俣の多くの店がそうであったように、かつては醤油の製造から行っており、その貴重な機械は後に大学へ寄付されたという。




店内の様子は完全に大正、明治、江戸時代へとタイムスリップ。
この店を見たさに訪れる人も多く、醤油の売れ行きも予想を大きく上回っている。


横町は以前にも街おこしの活動を行ってきたが、昭和が終わって四半世紀となり、愈々機が熟してきた、好機到来といえる。

周辺の店舗も活気を取り戻してきた。行ってみたい、見てみたいお店が何店か増え集中してくれば相乗効果も現れてくる。


ブログをご覧頂いているお祭り好きの皆様に注目していただきたいのは、マルカワの蔵向かいでお祭り用品を取り扱う中沢ふとん店祭り用品半額セールを行っている。



二俣ではよくあることなのだが、在庫は二、三十年前からのものもある、とのこと。
もちろんモノはしっかりしているし、今より作りの良いモノ、現在は入手困難となっている品物もある。まさにヴィンテージの祭り用品大放出である。


全て半額、倉庫には昔流行った網シャツもあるという。



法被は染めの値段の高騰もあり、年々価格が上昇している。ここでは、未だ安かった時代の正価の更に半額でヴィンテージなレア物をゲット出来る
汎用の法被を求めている方、お洒落に和柄普段着として着こなしたい方、必見!!


オリジナルの法被や手ぬぐいのオーダーも受け付けている。


非売品だが、こういう可愛いモノも・・・


お祭り好きは店内にいるだけで楽しくなる。


明治・大正から昭和の中期まで二俣は間違いなく時代の最先端を行っていた。新町のブティック街は今なおそうかもしれない。

横町や仲町の大店は東京都取引して財をなし、この街から出て行った人も多い。あるいつかの頃までは、静岡や浜松などを通さず、最新の流行が東京からダイレクトにこの街へやって来ていた

だが、いつしか、街は時代遅れとなっていた

そして、昭和のあの頃のまま、この街の時間は止まってしまった



これだけ時代に引き離されれば、それはまた武器になる。

この街の売りとは何か、自明である。

倉庫に山積みされた商品、忘れ去られていたモノに再び陽の目が当たる、そんな日が来るかもしれない。



数十年の在庫が武器に!!


大屋台の曳き廻しは難しいが、何らかの形で継続を模索中だという叉水連。

街への追い風は叉水連自慢の桶胴締大太鼓の地を這うような力強い空気の塊になっていくだろうか。








横町を訪れた人々が必ず立ち寄る大判屋

大判焼きはクリーム、チョコ、白あんが既にシーズン終了し、小倉あんも今週末辺りで在庫が尽きそうだということで、秋まで待てないという二俣の人は早めに大判屋さんへ!!