中国のド田舎でのダンスのことをあれこれ書こうと思って、
当時のことをつらつら思い出していたんですが、
自分とダンスの関係を考えるときに避けては通れないエピソードがあって。
はじめは楽しくもない話だし、自分も未消化な部分があるし、スルーしようと思ってたんです。
だけど、無視すればするほど、その存在感が大きくなっていくというか。
ついには見ないふりを続けるのも難しいほどになってしまいました。
なので書きます。
長いけど面白くもない話です。
前置きとして。
花さんが住んでいた場所は、その地域の仏教文化の中心地です。
冬になると、近隣の遊牧民がこぞって巡礼に訪れるような、そんなところ。市内のお寺は数知れず。
もちろん牧民だけではなく、街の人たちの考えや生活の節々に、仏教が根付いています。
私がそこ想いを馳せるとき、まず真っ先に思い浮かぶのは濃厚なバターの匂い。
そして蒼い空です。
遊牧地域の真ん中に位置してるので、バターはとても身近な存在。
お寺に供えるのはバター灯だし(牧民たちは自家製バターを溶かしたものをポットに入れて、各お寺の仏像前に置かれたバター灯の器に少しずつ注いで巡礼します)、乾燥対策にバターを肌や髪に塗ったりします。
バター茶もよく飲みます。
これは濃く煮出したお茶にバターと塩を加えて撹拌したもの。街中の茶館で飲むのはわりとあっさりで飲みやすいんですが、牧民のテントの中で振る舞われるそれはとても濃厚で、茶碗一杯飲んだらお腹いっぱい胸いっぱい。
なので、街は常にそこはかとなくバターの匂いが漂っています。
特に巡礼の季節である冬は、人気のお寺の近辺はそれこそむせかえるような濃厚なバターの匂いに包まれます。
空はねー。
とにかく蒼いんです。
標高が高く、空気が乾燥しているせいか、空は宇宙まで繋がっていることをまざまざと感じさせる、ずっしりした質量のある蒼です。
写っているのは遊びに来ていた夫(当時は婚約者)
勤めていた大学からバスで20分くらい郊外に行くとこんな感じ。
そのぶん紫外線は強烈です。
花さん、シミもコジワも気になるお年頃ですが、この空の下でウン年間頑張った証だと思えば、それらが少し愛おしく感じられます。
コンシーラーも使うけどさ。
※ここまでで、なんとなく場所が分かってしまった方もいらっしゃると思いますが、そこは花さんの大人の事情を察してスルーしてください。
私にもタヌキと連呼していることを知られたくない人たちがいる。
あと、話が話だけに、以下、ちょっとフィクションを混ぜて書いてます。
もしかしたら矛盾が出てくるかもしれないけど、そこもスルーしてください。
前にも書きましたが、私はここの大学で
自分の勉強をしつつ日本語学科の非常勤講師として日本語を教えるという、二足草鞋生活をしていました。
その日本語学科の主任教授がC教授でした。
もともと留学生として来ていた花さんが、留学期間が終わった後も大学に残りたい、どうにか方法はないものかと考えてた時に、日本語学科の非常勤講師としての道を拓いてくださった恩人です。
この地域で初めて女性として博士号を取得したというC教授はとても聡明な方でした。
そして、万事適当な(ちゃらんぽらんとか行き当たりばったりとか。散々振り回されたなぁ…)土地柄に関わらず、
C教授はとても責任感があり、きっちりと物事を進めていく方。
花さんがいきなり外国の大学で日本語授業をすることになり
(話が決まってから慌てて日本語教授法の本を日本から送ってもらって勉強しました)、
それでもなんとかはじめの1年を乗り切れたのはこのC教授が影に日向に支えてくださったからに他なりません。
彼女の的確な指示やアドバイスに何度助けられたことか。
寡黙で自分にも他人にも厳しく、けっして親しみやすい人というわけではないけれど、でもとても優しい方でした。
外国語学科の宴会に呼ばれ、すっかり盛り上がっている教授陣を前に戸惑ってる花さんに、「ここに座りなさい」と自分の隣を指し示してくれる方。
「何か日本の歌を歌って」と無茶振りでマイクを渡されて固まってると(花さんがこういう時にソーラン節をアカペラで熱唱できるようになるのはもう少し先の話)、
「私が日本語の歌を歌うわよ」とマイクを取ってくださるような、そんなお人柄。
いつも事務的なやり取りに終始して、個人的な付き合いはあまりなかったけど、
花さん、C教授が好きでした。
時は経ち、なんとか日本語講師としての1年のカリキュラムを終え、学生たちの進路も決まり卒業の季節。
外国語学科の卒業式典があると聞き、花さんはC教授に見に行っていいかショートメールで問い合わせました。
C教授「もちろんよ。参加して卒業生たちをお祝いしてあげて」
この時、ちょっと訝しく思ったんですよね。
C教授はこんな時はいつも欠かさずご自身で私に連絡をくださっていたから。
そして、その2日後。
C教授が学校近くの川に身を投げて亡くなったとの知らせを受けました。
それがもう覆すことのできない、交渉の余地もない、純然たる確定した事実なのだと受け入れざるを得なかったとき、
花さんは怒りでいっぱいになりました。
家族や友人を残して勝手に逝ってしまったC教授に、C教授をそこまで追い詰めた周囲のあらゆる状況に、
花さんは激怒しました。
ただ、今振り返るに、あの時の感情は怒りではなく悔しさだったんだと思います。
私はこの時、C教授に周囲の世界ごと「要らないもの」「捨て去りたいもの」として切り捨てられたことが、ものすごく悔しかったんだろうな。
私の好意や信用を裏切られた気分になって、勝手に酷く傷ついていました。
その悔しさや痛みを怒りにすり替えて、何かにぶつけずにはいられなかったのが、その時の自分だったのだと、今は思います。
未熟者。
花さん、泣きました。
泣いて泣いて、泣きながら勉強して、泣きながら授業を受けました(留学生用の授業に入れてもらってました)。
本当に人はここまで涙を出せるのかと驚くほど、ボタボタと泣きながらノートを取っていました。
そんな花さんを見かねて、授業を担当していた仏教学の教授が声をかけてくださる。
「花、そんなふうに嘆くのはやめなさい。
C教授の魂は今、中有にいて、水に浮いた木の枝のように色々な力の影響を受けやすい状態なんだよ。そして次の生へと流れていくんだ。
だからあなたはC教授がより良い来世に行けるように祈りなさい」
花さん、授業が終わるとその足で街の中心に位置するお寺に向かいました。
この地域の正式な礼拝方法は五体投地です。
手を額、口元、胸の前でそれぞれ合わせ(いわゆる三門です。思考、言葉、心と仏教の教えを受け入れるための3つの門)、地面にうつ伏せになって体を伸ばします。で、立ち上がって、また手を額で合わせるところから。繰り返します。
花さん、お寺には何度も参拝に行ったけれど、五体投地はしていませんでした。
信仰を持っているわけでもなく、そこの文化に属しているわけでもない自分が(そりゃ勉強はしたけど。それでも私は外国人)形だけ真似するのはなんか失礼な気がして。
なのでお寺の参拝も、いつも敬意の表現として両手を合わせて頭を下げるのみした。
でも、この時だけは五体投地して祈りました。
C教授がより良い世界に転生できるように、必死で祈りました。
花さんが、彼の地で五体投地したのは、後にも先にもこれっきりです。
この時の空の蒼さをよく覚えています。
いつにも増して、震えるほど美しかった。
空が美しくて、美しすぎて、
空はこんなにも美しいのにC教授がもういないのが悲しくて、
花さん、また泣きました。
その夜、花さんはダンスのレッスンに行きました。
あんまりにも悲しすぎて、自分の心がまだ楽しいと感じられることを確かめて安心したかったんですね。
ダンスのレッスンはちゃんと楽しかったです。
この先の人生も、辛いことや苦しいことが待ち構えていると思います。
でも、花さん。どんな時でも踊ってさえいれば自分は大丈夫だと思ってます。
どんな時でも教室に行ってフロアに立って、音楽と共に動き始めれば、楽しいと感じられるし、ちゃんと呼吸ができる。
(比喩表現です。R衣先生のバレエレッスンは息をするのが難しくなります)
もちろん、楽しい時に楽しく踊るのがいちばんなんでしょうけど。
でも辛い時や苦しい時でも、楽しいと感じることができる絶対的なものがあるって、人生の強みだと思うんです。
自分の人生にダンスがあってよかった。
(*´∀`*)
これはそんな話でした。
おしまい。