先日テレビ番組でアメカという名前のGPT搭載ロボットが人間と会話する様子を見ていて薄ら寒くなった。

 

2022年の後半にChatGPTの発表されてから1年半ほどになるがAI技術に対する注目度は高まる一方である。特に大規模言語モデル(LLM)とよばれる技術領域はこれまでの特定用途でのAI利用ではなく、AGIとよばれる汎用的な人工知能の実現に近づいている。

 

言葉のコミュニケーションについては不自然さは感じられない。プログラムされた応答ではなく、AI自信が自分に蓄積するデータを生成してパターンを増幅させて「経験」を積んでおり、人間のコミュニケーションと同じように世間の一般常識や相手の性格や課題の背景までを予測して反応する。「あなたは幸せですか」と聞いたら「幸せです」とは答える代わりにニヤりと微笑みで返したという。あえて「あなたは生きているか」と意地悪な質問をしてみたら「もうすぐそう言ってもおかしくはなくなると思う」と返した。

 

大規模言語モデル技術では言語以外の反応も可能になる。自分でトライアンドエラーを繰り返して経験値、スキルを付けることで、自分が置かれた環境を理解して自発的に行動するロボットが既に実用段階にある。もはやこの流れは止めることができず、AIが多くの人間のマニュアル的な仕事を奪ってゆくことになるのは間違いないと思う。軍事的に使われる場合は人間の能力を超える活躍をすることになる。

 

こんなものが出てくると世の中はどうなってしまうのかと心配にもなるが、AIがどんなに情報を蓄積しても人間の感覚的な経験はできない。痛みや味覚や触感などは言語的に経験できるものではなく、例えば空腹とか頭痛とか胃がキリキリ痛いとかの感覚は経験として共有することはできない。

 

定義や考え方にもよるがAIが人間と同じように「生きていると言えるか」という点ではやっぱりそれは違うのではないかと思う。