’私の国’歴史・想像力のバランス、せっかく圧倒的時代劇だった | stargate

stargate

韓国人俳優ヤンセジョンさんを追います❣️

’私の国’、歴史的人物ほどヤンセジョンとウドフヮンが注目されるというのは 

[エンターメディア=チョンドクヒョン]最近の史劇は歴史の重い服を脱いだのも久しい。 それで、ロマンスファンタジーが時代劇の服を着て登場することがおかしなことがないようになった。 しかし、そうなる、時代劇が持っている重みも消えてしまった。 軽いロマンス劇はそれで時代劇というよりはロマンチックコメディーの時代劇バージョンのように見える面が生ずるほどだ。 

このような、変わった状況のためだろうか。 JTBC金土ドラマ<私の国>は特別な時代劇に迫っている。 これまで時代劇が歴史に沿って行く正統時代劇に行ったり、そうでなければ完全にここから脱したフュージョンあるいはファンタジーにまで行っている極端な現象を見せた最中に、この作品は歴史と想像力の均衡点を適切に合わせて出しているからだ。 

歴史は、既に我々がよく知っている高麗末、朝鮮初期の’開局時期’だ。 李成桂(キム・ヨンチョル)が威化島回軍を通じて政権の実力者として登場して、これで朝鮮開国が行われる時点が持つ’新しい国に対する一定の欲望’がこの時代劇にはそれでちらつく。 <私の国>は、朝鮮の太祖李成桂が主唱する弊害の清算と新しい国に対する欲望が込められて、ここに手ごわい好敵手として登場する彼の息子李芳遠(チャン・ヒョク)との拮抗した対決の構図も、入っている。 結局、ドラマは歴史の中の李成桂(イ・ソンゲ)の開局と後日、主役として登場する李芳遠(イ・バンウォン)が挙行する王子の乱の波乱を予告している。 

このような歴史的事実を取り上げながらも、<私の国>はこのドラマだけが伝えた想像力の拡張を放棄しない。 麗末鮮初という歴史の渦の中でソフィ(ヤンセジョン)、ナムソンホ(ウドフヮン)、そしてハンヒジェ(キムソルヒョン)という若い人物の欲望を加えてしまったからだ。 父が釜茹でを受けたという事実に姉のソヨン(チョイヒョン)を面倒を見ながら圧力を受けてきたソフィと、幼い頃から彼を助けてきた友達だけどナムチョン(アンネサン)の庶子という理由で母は自決して父の認定を受けるために躍起になってきたナムソンホ(ウドフヮン)の欲望が作り出す行き違った運命がこの歴史的渦の中に適切に連結されている。 また、この間に絡んで入ったハンヒジェという人物との運命的な愛まで。 

父の認定を受けるため、取り返しのつかない川を渡ってしまったナムソンホによってソフィはすべてを失って遼東征伐軍に連行されて、結局、威化島回軍が決定され、李成桂はその征伐軍をすべて殺害しと命令する。 その命令を受けて征伐軍を殺しに入ったナムソンホがソフィを再び会う状況は、この2人のドラマチックなストーリーを構成した。 結局、選好は、ソフィを求めて、ソフィは死ぬ危機に直面した選好を救い出す。 

一方、愛するソフィが自分が集めてきた情報によって征伐軍に連行されことになると、妓生房から出て一人で力な拡大を図る決心したハンヒジェが後日、神徳王后になるカン氏の奥さん(朴イェジン)を訪れ、一緒に死ぬ危機を乗り切る過程も歴史的事実の中に作家が加えて入れた想像力の面白さがないことはできない。 ハンヒジェはそんなにカン氏夫人の心を得て復讐のために力を持とうという自分の欲望に一歩近づく。 

威化島回軍に李成桂(イ・ソンゲ)が政権を握って家に帰ってきたソフィは妹ソヨンが死んだと思い、ナムチョンの家を訪ねるが、そこでも意外な状況が繰り広げられる。 ソヨンがお兄さんが連れて行かれる時のショックで記憶を失ったままナムチョンの家で娘のように生きていたもの。 結局、ソフィはそれが自分を振るったりための人質ということに気がついて、ナムチョンの家で発見した模様が死んだ父の鎧から出た紙の中の模様と同じだという事を通じて、父親の運命と自分の運命が重なっていることを予感する。 もしかしたら父の無念の死がナムチョンが利用するしまうことで、生まれた一日数いるという。 

<私の国>は、麗末鮮初の歴史的事実自体も興味津津が、タイトルにあえて’私の’という観点を付与したように歴史の外に想像力で立てた人物たちが織り成す、それぞれの欲望が興味深いことにぶつかっている。 久しぶりに時代劇で見られる歴史と想像力の均衡がないことはできない。 そして歴史が与える重厚な重さを感じながらも同時に想像力が作り出す新たな劇的事件が独特な興味深さを与えるのは、まさにその均衡のためだ。 

チョンドクヒョンのコラムニストthekian1@entermedia.co.kr