今回、愛媛で開運鑑定会をして思ったことは、鑑定を受けるお客様方が、真面目で誠実なタイプが多いということでした。
それぞれの県民性に違いはありますが、温暖な気候、徳川家康の家系から殿様が出ていて、徳
川時代は佐幕派で保守的な気質が培われたことも大きな影響力があるのかもしれません。幕末、佐幕派だった松山の殿様は土佐の殿様が松山城を管轄することで追い出され、明治維新で大きく変わっていきます。松山城の天守閣にはそのような変遷が展示物で克明に展示されていますね。
愛媛の人々は人当たりが良く、穏やか。もちろん、中には、大変威勢の良い方々もいましたが、往々にして穏やかで誠実。
松山城を散策すると、遠くから見れば、小高い山の上にあるかなり強固な城なのですが、近くに行っても城壁とバランスの取れた森の木々に囲まれ、そのような険しさが、あまりしません。城に行くにも、リフトかケーブルカーで登るのが一般的で、徒歩で登っていくのは、猛暑の中ではかなり難儀します。本来の険しさを周りの環境が和らげているという風土なのでしょう。
昭和の文豪たちは、不思議なほど愛媛の女性をお手伝いさんとして積極的に採用したそうです。
愛媛のお手伝いさんを採用したのは松本清張、丹羽文雄、司馬遼太郎、和久峻三、石坂洋二郎、天野祐吉などなど。
司馬遼太郎のお手伝いさんが愛媛の人だったことと、本人が40代のほぼすべてを「坂の上の雲」の執筆に全精力を注いだことも、関係があるように思います。この本を書くにあたって、常に自分
の身の回りの世話をする人が愛媛の女性だとすれば、非常に書きやすい環境だったのではないでしょうか。
愛媛の女性は一般的に純朴で順応性があるというのがお手伝いさんとして採用人気がある理由のようです。
勤勉さでは東北や九州の女性にはかなわないとしても、訛りが少なく、教育水準が高い。しかも、しつけやマナーがしっかりとしているということで、お
手伝いさんの能力としては総合点で最高をつけられるとのこと。
さらに愛媛県人の真面目さ、温厚さを企業も注目。
愛媛創業のソフト開発会社サイボウズは、企業が拡大して大阪や東京に進出したものの、就職した人の離職率が高く、再び愛媛にオフィスを開き、サポートセンターも愛媛に移設。問い合わせサポートを地元の人たちが行うことで穏やかさが好評といいます。
また、太陽電池製造装置でシェア世界一のエヌ・ピー・シーは平成12年から愛媛で事業を開始し、地元従業員の真面目さ、優秀さが高く評価されていて追い風になっているそうです。