カーテンの隙間から差し込む光が、閉じているだけの瞼を刺激する。全く熟睡できなかった。僕はいまだ彼女の「さよなら」を頭の中で反芻していた。
ふと周りを見て、改めて気が付く。ここは僕の部屋ではない。
整然と並べられたCDとDVD。
あちこちに散乱している写真。
そしてテーブルの上に並べられた朝食とメッセージカード。
部屋の主はすでに仕事に出かけている。僕はこの部屋が好きだった。
入るたびにいい匂いがする。部屋の主は僕に干渉はしないし、僕も相手に干渉をしない。ただ楽だから一緒にいる。お互いに打算的な付き合いでもあるが、優しくもなれる。そして、僕たちは違う生き物だけれど、決してお互いに愛とか恋とかはしない。僕はそんな付き合いができる女性がいることにはじめは驚いた。
僕は寝ぼけ眼のまま、この見慣れた天井を見つめ彼女を思い出していた。
夢を語るときの真っ直ぐな視線。照れも臆面もなく、「私は表現者になるの」と僕に言った。
彼女のそんな眼差しにどきっとした。
「誠一さんがいなくなったら、私はどうすればいいんですか?」
仕事を辞めることが決まっていた僕に、彼女はそう言って何度も困らせた。僕の退職の1ヶ月後に彼女も退職を決めたことを聞いた。僕はそんなことにもどこか奇妙なめぐり合わせがあるのではないかと考えていた。
いつもの癖で携帯を開く。着信履歴にはこの部屋の主である「彩夏」の文字が数件並んでいた。
目が覚めたといっても既に11時を回っている。昨日は寝れなかった。哲と飲んでいてもあいつの話は上の空。帰ってきても、何でこういう結果になったということが頭を巡っていた。目頭が熱くなるとか、そういった感情の高ぶりはない。ただただ、なんて惨めなんだろうとか、俺って何なんだろうとか、自信を失い卑屈になっていた。
彩夏の文字を携帯に表示し、ボタンを押す。
数コール後に当然のように彩夏は僕の名前を呼ぶ。
「誠、昨日はいきなりどうしたのよ?
キツイなんてメールくれる割に電話には出てくれないし。
ところであんた、今は大丈夫なの?」
「あぁ、ごめん。ちょっと無理かな。」
僕は何かがあるたびに彩夏に相談をする。3つ年上で、大人の女性。過去にいろいろと経験しているらしく、懐が深い。既婚者であるが自由恋愛主義のため、旦那の他に2人の男を囲っている。でも決して僕は彼女とは男女の関係にはならない。それを彼女は分かっているし、僕はそんな彼女とともにいることが多い。会社の先輩に連れていかれたダーツバーで出会った。彼女は店の手伝いに駆り出されていた。先輩と彼女が知り合いで、紹介してもらったことがすべての始まりだった。
この部屋は彼女のセカンドハウスで、たまに僕を匿ってくれる。そして、今僕には家がない。すでにこの街から離れる準備は整っていて、荷物なんかも持っているドラムバックの中身しかない。
「そう。
そんなときに悪いんだけど、私今日は時間作れそうにないのよ。
明日であれば空いてるんだけど、あんた明日まで耐えられる?」
「ん、何とかするさ。」
「悪いわね。
でも、明日はしっかり時間とって話きくから。
まぁ、きつくなったら電話しなさい。何とかするわ。」
「悪い。いつもいつも。」
「何言ってんのよ。こういうのは持ちつ持たれつでしょ。
こっちだってあんたのおかげで助かってることは結構あるのよ?
それより自分がきついときに人に気を遣わない。ちゃんとお姉さんを頼りなさい。」
「わかった。じゃ、お言葉に甘えようかな?
あ、彩夏。部屋にある本とか読んでもいい?」
「好きに読みなさい。あ、誠ごめん。ちょっと出なくちゃいけなくなったから電話切るわね。」
電話口からはツーツーという音が漏れていた。僕はまた彩夏の部屋で現実に戻る。
僕は女性と感じない女性の部屋で、別の女性について心をめぐらせている。
僕が惨めな気分になっているとき、彼女は今をどう過ごしているのだろう。
僕のことなどもう頭にないのだろうか?忙しいのかな?
彼女が僕にかけた言葉は全て僕を上司として見た言葉だったのだろうか?
一人の男には見えていなかったのだろうか?
そんな疑問符を飲み込むように、彩夏の趣味に彩られた小説の棚から適当に本を引っ張り出す。
決して頭には入らないが、僕は彼女のことを落ち着かない心から追い出すために、活字の列をなぞるように目線を動かし続けた。
活字の言葉を頭の中の声で呼びながら、彼女からのメールの「さよなら」の文字が脳の奥にちらついていた。
~つづく~