朝ドラ第12週を観ておりまして、今週は戦災孤児のお話です。重たく悲しいお話です。
そしてね
このドラマで初めて主人公に反感を持ちました。
主人公、ちゅーか大人に対してですね。
昭和前期の戦禍の時代において、最も厳しい時期というのは、戦時中よりも戦後にやってきました。
敗戦に伴い秩序、経済、社会体制は崩壊し、日本は世界最貧国に転落します。衣食住の全てが欠乏し、その日に食べるものも、着るものも、雨風を凌ぐ家もない人々が大量に発生しました。
そのような敗戦後の限界社会で繰り広げられるのは限られた物資を奪い合う生存競争であり、そしてその競争の最下層にいたのが、今週の朝ドラで焦点を当てられている戦火で家族を失った戦災孤児たちです。セーフティネットが全て失われた剥き出しの生存競争のなかで戦災孤児たちの置かれた境遇の厳しさは、RAINBOW-二舎六房の七人にも描かれています。
「トラと翼」第12週に登場する浮浪孤児窃盗団の親玉?の道男もまた、そのような過酷な境遇に置かれているわけですが、周りの大人の彼らに対する対応が、単に「非行少年を更生させる」目線にしか感じられず、僕はこの点について、登場人物の大人たちに反感を抱かざるをえませんでした
だってさ~
非行少年とかそーゆーレベルの話ではないでしょ。
戦災孤児の悲劇としては「火垂るの墓」が有名ですが、孤児の兄妹が共に餓死するあの物語は脚色された美化であって、現実の原作者は、兄の庇護がなければ生きていけない妹を冷たく見殺しにしています。これに限らず、戦後の生存競争の中で自分の助けがなければ生きていけないと分かっている妹や弟などの幼い身内を、時には我が子を、自分の生活を優先するために切り捨てた人々は大勢いました。戦後の貧困期が過ぎた頃に、罪の意識に苛まれて過去を告解する有名人も珍しくありませんでした。
身内ですら切り捨てる貧困と生存競争のなかで、況や縁のない他家に身を寄せた孤児の立場はまさに針の筵であったろうと思います。一方で、保護施設に送り込まれた者たちは、そこで更なる地獄を見ることになる。
結局孤児たちがマトモに生きるには、大人にもお国にも頼ってはいけず、ストリートでその日暮らしをするしかない。そのマトモな生活だって、乞食物乞い、窃盗強盗、そして売春によって成り立っていわけで、肉体的にも精神的にも性的にも搾取されるしかない孤児たちの立場を、非行と表現するのは、大人として余りに身勝手であると思います。
そもそも勝手に戦争をはじめ、国家を破滅させ、経済をぶっ壊し、孤児たちから家族を奪ったのは、当の大人たちではないか。
それを今更、助けたい、だの、君たちを拒絶しない、だの、言われた側の孤児たちからすりゃ、何様だお前らは、と怒鳴りたいだろうなって。
大人たちへの反発は、あまりに正統な抗議だと思う。
劇中では、主人公の寅子は孤児の道男に痛いところを点かれた拍子に啖呵を切ってしまい、彼を預かってしまう。しかし結局、引き取られた先で道男に向けられたのは、痛いほどの厄介者への視線であって、本当のところで受け入れられることもなく、若未亡人に言い寄った非行少年という立場のまま、出ていくことになる。
僕は道男に、戦災孤児ではなく単に非行少年としての役柄しか与えられなかった、とは思いたくない。日本史における彼らの立場は、そんな形で無視されて良いわけではないから。
だから彼には、自分たちをこんな境遇に追いやっている、寅子をも含む大人たちの身勝手さを、虚偽を、叫んでほしかったな〜、と思います。
お前たちが国を潰さなきゃこうはならなかったんだと。俺たちの家族の未来を戦火に焚べておきながら、自分たちはちゃっかり生き残って国の仇と組みながら給金を手に入れやがってと。なんで俺たちだけなんだ、国を潰したお前らだってこうなるべきじゃないかと。
でも実際の彼は、諦めきって、黙って悲しみを握りしめているだけのように映る。彼らが大人たちに突きつけるべき罪状は数え切れないほどあるのにね。
それが僕には悔しかったです。悔しすぎて知らず知らずのうちに涙目になっているほど、本当に悔しかったです。映像作品で久しぶりに抱いた感情でした。
主人公である寅子のモデルである三淵嘉子は、家庭裁判所判事として戦後貧困の影が色濃く残る1960年代に数多くの少年審判に携わります。
寅子は道男の背負う苦しみと孤独を、未だ真に深いところで寄り添うことができていないように思いますが、彼女がこれからどのような道を歩んで、愛を守る家庭裁判所判事へと変わっていくのかを、一視聴者として見守っていきたいところであります。
(記事の内容は6/19現在の放送分を元に書いているので、最新の内容とは矛盾するかもしれません)